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【御朱印巡り】戦国時代に誘う魅力醸す 長野市の川中島古戦場 八幡社

本殿には、武神と崇められる誉田別尊と建御名方命が祭られている。鳥居をくぐると川中島の戦いにまつわる施設もあり、参拝者を戦国時代に誘う=長野市(松本浩史撮影)
本殿には、武神と崇められる誉田別尊と建御名方命が祭られている。鳥居をくぐると川中島の戦いにまつわる施設もあり、参拝者を戦国時代に誘う=長野市(松本浩史撮影)
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 越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄の両雄が、約12年もの長きにわたりしのぎを削った川中島の戦いは、神社が位置する八幡原を戦場として行われた。境内には、信玄の本陣があったと伝わる。

 社伝によれば、平安時代の中期、文書の管理などを担う蔵人だった源顕清(みなもとのあききよ)が、何かの事情で信濃の地に流された際にこの地を訪れ、誉田別尊(ほんだわけのみこと)を祭ったという。戦国時代に北信濃を治めた村上義清の祖先に当たり、八幡原の命名者でもある。

 誉田別尊は八幡神とも呼ばれ、全国にあまねく勧請されている。第15代の応神天皇とされ、武神として信仰される。明治41年には、諏訪大社の建御名方命(たけみなかたのみこと)が合祀(ごうし)され、この2柱が現在、ご祭神としてあがめられている。

 誉田別尊が祭られているので、御利益は勝運必勝であるのは言うまでもない。ほかにも厄除け、交通安全、安産、育児などをうたっている。

 御朱印帳には、「川中島古戦場」の文字。五明(ごみょう)貴寿宮司は「八幡社は全国にあるので、どこの八幡社だか参拝者がすぐわかるようにするためです」と話す。御朱印は篆書体で「八幡社の印」とあり、全体の構成は実に簡素だ。参拝者に求められればたいがいは、五明宮司が対応している。

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