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【一聞百見】感性の裏に壮絶いじめ 早熟の才ひらく 大学生俳人・小林凜さん 

アジサイが美しく咲いた近所の公園で。不登校の日々もよく訪れ、昆虫などを観察した(柿平博文撮影)
アジサイが美しく咲いた近所の公園で。不登校の日々もよく訪れ、昆虫などを観察した(柿平博文撮影)
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 俳句界で激賞された小学生俳人がいた。子供離れした感性の背後に、おぞましいいじめがあった。この春に大学生になり、とある俳句館の「館主」にもなったという。どんな青年なのだろう。会いに行った。

(聞き手・坂本英彰編集委員)

■小学3年生で入選

 大阪府岸和田市の自宅を訪ねた。新型コロナウイルス感染予防で庭にキャンプ用の椅子が用意されていた。梅雨入り前の野外インタビューだ。 

 「あ、ユキムシです」

 ふわふわと飛ぶ米粒ほどの虫が現れたときだ。質問に対する回答を探すような話しぶりだったが、これは問わずに出てきた言葉だ。

 えっユキムシ? 聞き返すと、昆虫図鑑をなぞるような説明が返ってきた。

 「人間の体温でも死んでしまうほど。とても熱に弱い虫なんです」。ユキムシは、雪虫だと知った。急に命を感じる。振り払いそうになっていた手を、思わず止めた。

 幼いころから、昆虫や小動物が大好きだったという。虫のことになると熱っぽい。強い調子で言った。「ムカデでもクモでも人間が何もしない限り、何もしてこない。見た目が気持ち悪いだけで不快害虫といわれる。人間の勝手です」

 944グラムの超低体重児で生まれた。小学1年になっても運動能力は弱く、バランスを取るため手をひらひらさせて歩いた。その姿がからかいの対象になった。「オバケみたい」。すぐに暴力が加わった。突き飛ばされて顔を強打し、目をあけられないほど腫れた。青黒い皮下出血を横腹に見つけ、母は悲鳴をあげた。

 多くの教師が見て見ぬふりをした。「相手は否定しています」。いじめた側の言い分を伝える。自分で転んだことにされたこともあった。命の危険も感じた家族は自宅学習を選ばざるを得なかった。中学3年まで多くを不登校で過ごした。

 〈いじめ受け土手の蒲公英(たんぽぽ)一人つむ〉(小学3年)

 「タンポポを摘んでいると学校のチャイムが聞こえてきた。そこへ行きたい、でも行けない所でした」。言葉遊びのテレビや絵本で5・7・5が自然に身に付いた。小学3年のとき朝日新聞の俳壇に投句し、並みいる大人に伍(ご)して入選。

 〈紅葉で神が染めたる天地かな

 選者の長谷川櫂さんは後に、大人びた句だと感じたと同時に9歳の子供を大人びさせた巨大な孤独の存在を感じたと記している。

 俳号は小林凜。大好きな俳人になぞらえた。やせ蛙を応援した、一茶だ。

■家族に守られた日々

 いじめで学校に行けなかった小林凜さんは家族と長い時間を過ごした。働く母にかわり面倒をみたのが、祖母の郁子さんだった。

 〈冬蜘蛛(ぐも)が糸にからまる受難かな〉(小学2年)

 凜さんが公園で、木から垂れ下がるクモの糸に絡まるクモを見つけた。郁子さんはこのときのことをよく覚えている。クモを傷つけないよう、ゆっくりと糸をほどいてやっていたという。「暴力的ないじめを受けていた孫の口から出てきた句です。胸が痛かった」

 郁子さんは凜さんが小学4年生の時、医師の日野原重明さんに、孫の俳句や受けたいじめの経験を手紙に書いて送った。東日本大震災に関し、俳句や短歌も再起へのエネルギーになるという、日野原さんの文章を読んだからだ。驚いたことに返事が来た。互いに俳句を作って送る、90歳違いの文通がこうして始まった。

東京の聖路加国際病院で日野原重明さんと=平成25年7月(本人提供)
東京の聖路加国際病院で日野原重明さんと=平成25年7月(本人提供)
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 〈百歳は僕の十倍天高し〉(小学4年)

 100歳の誕生日を祝って送った。母に連れられて何度か上京し、自宅や勤務先の聖路加国際病院に日野原さんを訪ねた。日野原さんは「背比べしよう」と相好を崩し成長を喜んだ。

 〈凜君よ空高く伸びし竹の如

 98歳から句作を始めた日野原さんは高名な俳人、金子兜太(とうた)さんの手ほどきを受けていたが、凜さんとの俳句交流をこう記している。

 〈私はとても成長してきたと思うようになりました。凜君は立派なエキスパートです。私に色々教えるのは金子兜太さんのような人だけでないのです〉(「冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに」から)

 交流は日野原さんが105歳で亡くなるまで続く。

(次ページは)戦時下の俳人に思い寄せ…

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