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【山本一力の人生相談】母の最期を看取れなかった

イラスト・千葉真
イラスト・千葉真

相談

 母が5月4日に亡くなりました。入院1週間目でした。

 母は大の病院嫌い。最期は家でと言っていました。それでも助かる見込みがあればと入院を決めました。もしもの時は自宅にと手配していた直後、危篤となり、病院に着いたら今さっき亡くなりましたと言われました。

 父を早くに亡くし、病弱な母をみるため、一人娘の私は結婚もせず、介護離職後9年間、片時も離れませんでした。

 私の姿がないと不安になるのに、新型コロナの影響で面会もできず、どんなにつらかっただろうと思うと涙が止まりません。一生の後悔です。私はどう考えればよいのでしょうか。(60代、女性)

回答

 四十九日もまだ、という時点の投稿か。看取(みと)ることも叶(かな)わなかったあなたの無念は、いかばかりであろうか。

 昭和57年4月下旬、わたしもあなたと同じ局面に遭遇した。

 未(いま)だ癒えぬかの哀しみが、わずかでも浅くなれと願い、あの一日を再現する。

 当時は藤沢市に暮らしていた。日曜日の午前5時前、電話で飛び起きた。

 「心臓発作で、救急車で運ばれた」

 病院の公衆電話で、妹が報(しら)せてきた。

 急ぎ小田急線に乗り、新宿の医大病院に向かった。連休間近の日曜日。まだ始発に近い急行なのにほぼ満席で、みな笑顔。

 終点まで目を閉じて、救命を祈った。

 午前7時過ぎに到着。母は集中治療室で、入室もできない。治療専念の医師からは説明もなく、時間だけが過ぎた。

 昼が来て夜になり、深夜となっても状況は変わらず、見当の説明もなかった。

 日付が変わった直後、人工呼吸器のモーター音が、突如止まった。妹と顔を見合わせて、母がいま逝ったと察した。

 ほぼ一日、治療室の前にいながら、別れを告げることすらできなかった。

 葬儀は住まい近くの尼寺で執り行われた。母の急逝への無念を消せずにいたとき、庵主様が慈愛深い物言いで説かれた。

 「いまは暗い道をひとりで歩いています。家族が欠かさず灯(とも)す灯明が、黄泉(よみ)の国を進む者には一番の明かりです」と。

 いまも東京に在宅の限り、仏壇への灯明と線香、茶とお供えを続けている。

 相談文面からも明らかだが、あなたはできることすべてを、なさってこられた。

 医師もまた然(しか)り。あのコロナ災禍のなか、できることすべてを、されたはずだ。

 あなたの灯す灯明を、ご母堂はこの先もあてになさるに違いない、と思うのだが。

回答者

山本一力 作家。昭和23年生まれ。平成9年「蒼龍」でオール読物新人賞を受賞しデビュー。14年「あかね空」で直木賞受賞。近著に「牛天神 損料屋喜八郎始末控え」(文芸春秋)、「長兵衛天眼帳」(角川書店)、「ジョン・マン7 邂逅(かいこう)編」(講談社)、「後家殺し」(小学館)など。

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