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【歴史、そうだったのか】祭祀に利用か、「弥生日本」の変遷語る銅鐸 模造の土製品も出土

静岡県袋井市の大門遺跡で出土した「銅鐸形土製品」(同市提供)
静岡県袋井市の大門遺跡で出土した「銅鐸形土製品」(同市提供)

 弥生時代に祭祀(さいし)などで使われたとみられる青銅器「銅鐸(どうたく)」。西は九州から東は静岡県西部まで広く出土しているが、分布範囲から外れた静岡県袋井市で昨年7月、銅鐸を模して作られたとみられる土製品が出土した。こうした「銅鐸もどき」はしばしば見つかっており、専門家は「銅鐸の価値や使用法が広く浸透していたことをうかがわせる」と指摘する。古代中国の文献などから銅鐸が使われた当時の歴史をひもとくと、狩猟採集から農耕への移行をへて古代国家の形成に至る日本の姿が見えてくる。(橋本昌宗)

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 土製品が発掘されたのは、土地区画整理事業に伴い平成30年度から袋井市で発掘が始まったJR袋井駅の南側にある「大門遺跡」。弥生時代から鎌倉時代にかけての集落の痕跡が次々と見つかり、昨年7月に割れた大量の土器とともにほぼ完全な形の銅鐸形土製品が発見された。

 弥生時代後期(1~3世紀ごろ)のものとみられ、大きさは横約5センチ、高さ約6センチと小ぶり。上部や中央部付近に複数の小さな穴が空いており、横には“弥生人”のものとみられる指の痕もついていた。

 弥生時代の土器は女性が作っていたとされ、痕のついた指は現代の成人女性の指より細いとみられることから、この土製品も小柄な女性が制作した可能性がある。内部は空洞になっていたが、銅鐸で音を鳴らすための「舌(ぜつ)」と呼ばれる器具は付随していなかった。

 紀元前4世紀から紀元前3世紀ごろにかけて使われ始めたとされる銅鐸の分布圏は、西は九州の佐賀県から、東は静岡県西部を流れる天竜川の西岸まで。ただ、今回のような銅鐸形の土製品は関東でも出土したことがあり、静岡県では今回で2例目という。

 市の担当者は「銅鐸が持つ意味を理解していた小さな集落や個人が使っていたものではないか」と推測する。

祭祀の変化

 銅鐸の模造品は土製だけでなく、石製品も確認されており、出土分布も西は熊本県から東は群馬県までと幅広い。本物の銅鐸をつくるための鋳型が見つかっている唐古・鍵遺跡(奈良県)からも模造品が出土した例があるなど、当時の社会生活に浸透していたとみられる。

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