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【一聞百見】大阪の象徴的な美術館をめざしたい 菅谷富夫さん 大阪中之島美術館館長

「美術館にとって市民の声は重要です」と話す菅谷富夫さん=大阪市浪速区(恵守乾撮影)
「美術館にとって市民の声は重要です」と話す菅谷富夫さん=大阪市浪速区(恵守乾撮影)
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 昨年12月、大阪中之島美術館の館長に就任した菅谷富夫さん(62)は、約30年もの間、新しい美術館がどうあるべきかを考え続けてきた人である。その間、時代は華やかなバブル期から崩壊後の平成不況を経て、いまや令和の時代に入った。時代にかなった美術館とはどういうものか。そして、それをどう作っていくのだろうか。

(聞き手 正木利和 編集委員)

■準備室立ち上げから30年

 ちょっと格好のいいコピーである。

 《30年の時を超えて、時代に合った美術館の姿を探してきました。》

 2月終わりに館長就任の記者会見で配られた資料には、このメッセージの横に腕を組んで笑顔をみせる菅谷さんの写真があった。

 「いや、でもね、よく言われるんです。準備室30年て、そんなにやることないだろう、いままで何やってきたのって…」

 快活なバリトンで、アハハッと笑った。

 大阪市が市制100周年を記念して近代美術館建設の基本構想を発表したのは昭和58年のこと。ベースは実業家で美術収集家でもあった山本発次郎のコレクション。バブルのさなかの63年には構想委員会が出来上がり、その後もコレクションを充実させていった。

 菅谷さんが近代美術館建設準備室の学芸員となったのは平成4年。そこから計画づくりに携わり、10年には近代美術館基本計画委員会から「基本計画」の答申を受けた。国から土地も購入し、計画は順調に進んでいるかのようにみえた。

 しかし、バブル崩壊に伴う財政問題が浮かび上がり、平松市政から維新・橋下市政への転換などもあって計画変更が余儀なくされていくのである。25年には中之島の新しい美術館に天王寺の大阪市立美術館の機能を統合する話まで持ち上がったりもした。

 「平成2年ごろの新聞、正月特集などを見ると、中之島にオペラハウスができて、とか、中之島の未来は、なんてことが夢のように語られていたけども、そういう時代から(バブルが崩壊し)ちょっと待てってことになって」

 「要するに、美術館を取り巻く環境が変わってきた。なのに、かたくなに計画を変えないのはありえない。環境にいかに合わせていけるかというのはとても重要なことなんです」

 「ですから、最初からもう2回くらい計画を作り替えてるんですよ。時代、時代に合わせるかたちで」

 菅谷さんはそうした新しい美術館にまつわるうねりを、じっと見つめ続けてきたことになる。

 確かに、市政の変革はアートNPOの時代から企業も含めた民活の時代へと大きくかじが切られ、さらに前吉村市政のもとではインバウンド(海外からの観光客)が脚光を浴び始め、「観光資源」も射程に入れなければならなくなった。

 「時代の風みたいなものがあると思うんです。それは大きな意味での市民の要求であり期待だろう、と」

 「市民の声って重要なんです。市民が自分たちの美術館って思ってくれるかどうか。それで支持を得られなければ、美術館は立ち行かなくなります。30年というのは、わたしたちがそうしたことを学ぶ学習の時間でもあったわけで」

 学芸員なら、実はこうした計画作成よりもコレクション収集などに従事していたのかと思っていたのだが…。なにせ評価総額約260億円以上といわれる美術品を扱っているのだから。

(次ページは)信楽「陶芸の森」へ…

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