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モスクワ五輪不参加40年 「幻の代表」が語る東京五輪延期と後輩への思い

涙ながらにモスクワ五輪参加を訴えた高田裕司さん(中央)=1980年4月、東京都渋谷区
涙ながらにモスクワ五輪参加を訴えた高田裕司さん(中央)=1980年4月、東京都渋谷区
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 東西冷戦を背景に日本が1980年モスクワ五輪のボイコットを決めてから、24日で40年になる。その「幻の代表」の一人で、金メダルを確実視されたレスリング男子の高田裕司さん(66)は当時、涙ながらに参加を訴えた。日本協会副会長の要職にある今も、無念さは消えない。その経験を踏まえ、東京五輪延期で揺れる後輩たちへ思いを寄せた。 (岡野祐己)

涙の訴え

 80年4月21日。モスクワ五輪レスリング代表に決まっていた高田さんは母校の日体大での練習後、あわただしく東京・代々木の岸記念体育会館に向かった。会館で開かれていたのは、モスクワ五輪代表選手やコーチらが日本の五輪参加をアピールする決起集会だった。

 79年12月、ソ連(当時)がアフガニスタンに侵攻。カーター米大統領は80年1月、対抗措置の一つとして西側諸国にモスクワ五輪ボイコットを呼びかけた。日本は、米国に同調するか否かで揺れていた。

 高田さんは会場に着くと、後方に着席した。柔道の山下泰裕さん(62)=現・日本オリンピック委員会(JOC)会長=らが口々に五輪参加を訴えた。高田さんもテレビカメラを向けられると、胸の奥の感情が一気にこみ上げた。

 脳裏に浮かんだのは、ともに五輪を目指した日体大の後輩の清水清人さんの姿。五輪2連覇を目指す高田さんと同じ階級だった清水さんは階級を1つ落とし、「減量で骸骨のような体になっていた」。カメラの前で声を震わせ「毎日毎日練習してきたのは何だったのか」と訴えた。

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