PR

ニュース プレミアム

【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】新型コロナとボブ・ディランの謎の贈り物

昨年7月、ロンドンで演奏するボブ・ディラン(ゲッティ=共同)
昨年7月、ロンドンで演奏するボブ・ディラン(ゲッティ=共同)

差し出すものを持たぬ政治家

 知人のもとに高校の同級生で現在は大学病院に勤務する外科医からLINE(ライン)を使ってメッセージが届いた。

 その病院は新型コロナウイルス対応にシフトしたため、救急受け入れをストップし、手術や検査も延期せざるをえなくなった。外科医は訴える。「たくさんの人が治療が手遅れになり命を落とすことでしょう」「どこもがんの治療なんかできなくなっている。3カ月後には進行したがんになってひどい目をみることでしょう」

 知人はこのメッセージを私に示し、「どう考えますか」と問うてきた。私ごときが答えられる問いではないが、真剣かつ早急に考えなければならない問題であることは間違いない。

 2日ほど考えて知人に返信した。こんな内容だ。

 「返信遅くなりました。政治は何よりも目に見えるものを優先しなければなりません。そうしなければ国民の不信感は強まり、権力が維持できなくなり、政治そのものが機能しなくなるからです。がんなど感染症ではない病の方は、目に見えぬままひっそりと亡くなってしまう。政治家も分かってはいるでしょうが、パンデミックに日本の医療体制が対応できない以上、当事者にしか影響を及ぼさない病は無視するしかない。政治とはそういうものだと思います」

 医療関係者は生命の選別を日々迫られ、その結果、平時なら救われる命を落としてしまう人々がいる。理想論かもしれないが、政治家には、医療関係者の苦悩、見捨てられてしまう患者とその家族の悲しみを共有したうえで、何がベターかを考え抜いて対策をとってほしい。それだけではない。政治家には別の重症患者への対応も求められている。瀕死(ひんし)の経済だ。経済の死は多数の自殺者を生み出す。解のない問い…。政治家とはかくも重い責任を負った職業なのだ。

 緊急事態宣言が発出された2日後に、歌舞伎町の風俗店で遊んだ高井崇志衆院議員などは論外だが、重責を自覚した政治家がどれほどいるのだろう。というのも、国会議員が1年間歳費(月額129万4000円)を2割削減するというバカげた決定をしたからだ。経済的苦境に置かれた国民と痛みを共有するという理屈だろうが、そんなことにどれほどの意味があるのか。事態はなにも変わりはしない。いまなすべきことはひたすら知恵を絞り汗を流すことだろう。そして「2割削減」はまやかしで、実質的には7・5%の削減幅だと批判する声。あさましさしか感じられない。

 国難にあって自ら差し出すものを何も持たず、こんなあさましい声におもねるだけで安住を決め込んでいる政治家のなんと多いことか。ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーは『仕事としての政治』の末尾にこう記している。

 《自分の立っているところから見て、自分が世界のために差し出そうとするものに対して、この世界があまりにも愚かでゲスだとしても、それで心が折れてしまうことなく、こうしたことすべてに対してすら「それでも」と言うことができる自信のある人だけが、政治への「使命」をもっているのです》

 コロナ禍は、政治家の資質を残酷なまでに白日のもとにさらしている。次回の選挙で退場していただきたい政治家を数え始めたら両手でも足りなくなった。もちろん「使命」をもっていると感じられる政治家の発見もあった。そのほとんどは自治体の首長だ。

ディランの謎めいた贈り物 

 話を変えよう。コロナ禍で世界最大の感染者と死者を出して苦しんでいる米国民に向けて、ボブ・ディランが3月27日、「どうぞ安全に過ごされますように、油断することがありませんように、そして神があなたとともにありますように」との言葉を添えて、謎めいた新曲(正確には未発表曲)を差し出した。

 それは1963年11月22日、ダラスで起こったケネディ大統領射殺事件-事件から1時間後に逮捕され、実行犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドは2日後、ダラス警察署内において、ナイトクラブのオーナーでマフィアやCIAともつながっていたジャック・ルビーに銃撃されて死亡。暗殺の動機も背後関係もわからないまま捜査は終了し事件は闇に葬られた-をテーマにした作品だ。タイトルは「Murder most foul」(最も卑劣な殺人)。5連164行の歌詞からなり、最小限の伴奏でディランは語るように物語を紡いでゆく。

 歌詞を見ながら聴く。1960年代に米国で青春時代を過ごした者にしか実感できない作品だと思った。ただ、あらゆる意味で異邦人である私のような者にもとっかかりはある。それはシェークスピアの『ハムレット』から引用したタイトルだ。「最も卑劣な殺人」とは、弟に毒殺されて王位と妻を奪われた王の亡霊の台詞(せりふ)なのだ。

 つまり、柱となるのはケネディの亡霊の言葉であり、これに彼の暗殺を計画実行した敵対者、米国民、ディラン自身のものと思われる言葉が複雑に絡んでゆく。歌詞の中には、ミュージシャン、楽曲、音楽イベント、映画、俳優など数多くの固有名詞が、これでもかというほど織り込まれている。聴く人が聴けばその脳裏に、60年代、70年代、そして現在に至る米国の世相が走馬灯のようにかけめぐり、「われわれは夢を追い、その中で悲惨なこと、理不尽なことにも遭遇したが、それを乗り越えてきたじゃないか」と思い至るのではないだろうか。

 ディランらしい、実にひねくれた問い(応援)だと私は理解した。そうして無性に若いころのディランを聴きたくなった。取り出したのはケネディ暗殺の半年前に発表された「フリーホイーリン」。米国の小説家、トマス・ピンチョンの研究で知られる佐藤良明さんが岩波書店から今月刊行した訳詞集を読みながら聴く。「風に舞っている」(「風に吹かれて」を佐藤さんはこう訳す)最後の連が心に染みる。

 《なんど空を見上げたら/すんだ青さが見えるんだ/いったいいくつ耳を持ったら/涙の叫びが聞こえるんだ/そうさ、どれだけひとが死ねばいいんだ/もう死にすぎだとわかるまで/答えは、友よ、風のなか/風に舞っている》

 ※マックス・ウェーバーの訳は野口雅弘さん、ボブ・ディランの訳は佐藤良明さんによる。   (文化部 桑原聡)=隔週掲載

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ