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【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】今こそ「バカ殿」に心癒やされる幸せを

ひたすら「バカ」を演じ、笑いを提供し続けた志村けんさん
ひたすら「バカ」を演じ、笑いを提供し続けた志村けんさん

 新型コロナウイルスの感染拡大で、ついに7都府県を対象に緊急事態宣言が発令された。幸いなことに自分の周囲に感染した者がいないため、現実感がいまだ希薄で、息苦しいドラマの中を生きているようだ。こんな日々がいつまで続くのやら、と嘆きつつ、この現実がドラマなら、そろそろコメディーリリーフを登場させるタイミングではないか、と思っていた。

 コメディーリリーフとは、演劇や映画のシリアスな場面に滑稽なエピソードを挿入して、ムードを緩和すること、またそのような効果をあげる登場人物のことだ。

 このご時勢である。ウイークデーは、会社のある東京・大手町で仕事を終えると真っすぐに帰宅する。会社では嫌というほど本とパソコンの画面に接しているため、おのずとテレビと接する時間が増えている。あるとき、ふと気がついた。これ以上の適任者はいない最高のコメディーリリーフがすでに降臨していることに。

 コロナ禍で亡くなった志村けんさんである。志村さんの死を悼み、各局が連日のように特集番組を組んでいる。「バカ殿」「変なおじさん」「ひとみ婆(ばあ)さん」といったコントに大笑いし、先日はNHKの「志村けんさんありがとう~2010年福島県小野町の旅」を見た。ぶっつけ本番旅で人気の「鶴瓶の家族に乾杯」の平成22年3月29日と4月5日の放送分を再構成したもので、小野小町生誕伝説のある小野町を訪問した鶴瓶さんと志村さんが、小町を探して町を歩き回る。

 いやあ、面白かった。価値観や趣味嗜好(しこう)の多様化の結果、ほぼ死語になってしまった「国民的」という枕詞(まくらことば)がまだ生きていると思った。鶴瓶さんと志村さんが、年齢、性別、職業、人生観などを超越して、多くの人々に愛されていることが真っすぐに伝わってきたのだ。こんな愛され方をした者は、映画「男はつらいよ」で渥美清さんが演じた車寅次郎ぐらいだろう。

人間の業をゆるーく肯定

 正直に告白しよう。私自身は、高校生になったころ(昭和48年)からザ・ドリフターズへの興味を失い、その後も志村さんの演じる「バカ殿」「変なおじさん」「ひとみ婆さん」をきちんと見ることなく現在にいたった。けっして笑いが嫌いなわけではない。立川談志、デビュー当時のタモリ、ダウンタウン、爆笑問題は大好きだった。つまりは、毒を塗った批評精神の矢をビュンビュン放つ芸人にばかり関心が向き、ドリフターズや志村さんのベタな笑いを「知的刺激がない」と軽く見ていたのだ。若気の至りというべきか、若さゆえの精神の硬直というべきか…。そのままの状態で初老となってしまった男が、コロナ禍をきっかけに、志村さんのコントで硬直した精神をほぐしてもらったのだ。

 志村さんのコントについて超初心者である私が感じたのは、セックスしたい、うまい酒が飲みたい、楽をしたい、うまく立ち回りたい、といったスケベ心、つまりは人間の業(ごう)を、「お互いバカなんだから、バカはバカなりにうまくやっていこうや」とゆるーく肯定する気分だ。人間の業の肯定というと、すぐに談志師匠のテーゼを思い起こすが、落語界の革命児たらんとした談志師匠とは異なり、志村さんにそのような意思がまったく感じられない。いや、そう感じさせないところにこそ、志村さんの天才性があり、それゆえに老若男女を問わず愛され続けてきたのだろう。そして、志村さんのコントが、モンテーニュが最晩年にたどりついた境地に似ていることにも気がついた。第3巻第13章「経験について」にこんな一節がある。

 《わたしは踊るときには踊る。眠るときには眠る。…自然は、我々の生存のために我々に課したもろもろの行為が、我々にとって快楽でもあるようにと、さながら慈母のように心を配った。そして我々を理性によってのみならず、欲望によってそこに赴かせる。こういう自然の掟(おきて)をまげるのは正しくない》

 ときに理性は脇におき、自らの欲望に素直に従うことも必要だ。修行僧になるわけでもなし、それなくして何の人生か。

人間としても達人の域に

 がぜん志村さんへの関心が高まり、本紙東京版に掲載された過去の記事を読み返してみた。「へえ」と思ったのは、平成20年9月27日付のインタビューだ。聞き手は本紙の松本明子記者。

 バカを演じていると、子供にもバカにされるようになる。志村さんは、平然とバカを演じ続ける大先輩のコメディアン、東八郎さんにその心を尋ねてみたという。東さんの答えはこうだった。「文化人になろうと思った段階でコメディアンの命は終わりだから。いつまでもバカやってればいいんだよ」

 志村ファンには常識となっているエピソードだろうが、改めて紹介するだけの価値があると思う。同じ記事でさらにすごいと思わせたのが、学歴や頭のよさをひけらかそうとする芸人が増えていることについて、志村さんが口にした言葉だ。

 「今は予算も厳しいし、セットとか、じっくりと作るコントがなくなった。時代とともにテレビの作り方も変わってきた。だからクイズ番組などが増えて、芸人たちが多数出演する。出られるテレビが少ないんだよね。でも、僕は絶対に出ない。そこで常識があるとかないとか、はかりにかけられるのがものすごく嫌だし、頭をよく見せようとするのも嫌。そういうとき、東さんの言葉を思い出すんだ」

 他者の生き方をけっして否定しない。人にはそれぞれの生き方があることを志村さんは認める。天才コメディアンは、人間として達人の域に達していた。しかし、コントにおいてはひたすらバカを演じ続け、実像の片鱗(へんりん)すら見せない。ストイックであるが、ストイックさをいっさい感じさせない。天才である。そして、いまになってこんなことを書いている私は、本当のバカである。

 最後にテレビ局にお願いしたい。コロナ禍で我慢の日々が続く。正確な情報とともに、ストックしている志村さんのコントを編集して放送してくれないだろうか。われわれはいま、コメディーリリーフを必要としている。

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)による。  (文化部 桑原聡)=隔週掲載

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