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【歴史シアター】製鉄、律令国家作り支え 黒土遺跡に最古級の鋳造施設 滋賀・草津

 黒土遺跡の周辺では、南東約2・8キロの木瓜原(ぼけわら)遺跡(草津市野路東)で、7世紀終わりから8世紀初めにかけて営まれた製鉄施設が確認されている。鉄鉱石から鉄の地金をつくる製鉄炉で、地金を加工して製品化する鍛冶場や梵鐘(ぼんしょう)を鋳造した施設、燃料となる木炭を造る炭窯なども出土している。

■丘陵に工房林立

 南に約3キロ離れた源内峠遺跡(大津市瀬田南大萱)では、7世紀後半の製鉄炉4基を確認。大量の鉄滓や鉄鉱石も見つかっていることから、大規模な操業だったことが明らかになっている。製鉄遺構からは、国内では多い砂鉄を原料とした痕跡はなく、いずれも鉄鉱石を製錬していたとみられる。

 黒土、榊差、木瓜原、源内峠各遺跡は大津市から草津市にかけて延びる、標高130~160メートルのなだらかな瀬田丘陵上にある。同丘陵や周辺では、ほかにも製鉄や製陶に関わる遺跡が点在し、7世紀後半から、平安時代にかけて、操業していたようだ。

 また、近江は古代から鉄鉱石の産地として知られ、「続日本紀」には文武天皇が大宝3(703)年、志紀親王に近江国の鉄穴(てっけつ=鉄鉱石の産地)を賜(たまわ)るとの記述がある。天平宝字6(762)年には、恵美押勝(藤原仲麻呂)に近江国浅井(長浜市・米原市)、高島(高島市)二郡の鉄穴各一カ所を賜ったとあり、こうした地域に鉄鉱石を産出する鉱山があったとみられる。

黒土遺跡から出土した最古級の鋳造施設の擁壁
黒土遺跡から出土した最古級の鋳造施設の擁壁
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 黒土遺跡の発掘調査をしてきた草津市教委歴史文化財課の岡田雅人副参事は「瀬田丘陵には、製鉄、鋳造や製陶に必要な山林資源があり、それに適した土もあった。鉄鉱石の産地も近くにあったこともあり、早くからこうした工房が発達してきたのだと思います」と話す。

 瀬田丘陵の鉄にかかわる遺跡は最も古いものでも、天智天皇による近江遷都(667年)の時期。黒土遺跡のすぐ近くには東山道が通り、琵琶湖の水運も使える場所にあった。

 岡田副参事は「瀬田丘陵の製鉄・鋳造の遺跡が稼働したのは近江遷都が画期になったのだと思われます。鉄鉱石の産地がある。そして製鉄所、製品化する鋳造施設といったものが一定地域に存在していたということで、一帯は大規模な鉄製品の生産施設群だった。当時貴重な鉄製品は、東山道などを使って都や各地の国衙や郡衙などに運ばれたとみられます。それは、天智天皇らが進めた律令国家作りにも貢献していたのではないかと思います」としている。

■天智天皇、飛鳥から都遷す

 【用語解説】大津宮

 乙巳(いっし)の変(645年)で中臣鎌足とともに、蘇我氏本宗家を滅ぼして、政権を掌握した中大兄皇子は天智6(667)年、飛鳥から近江に遷都(大津宮)。ここで天智天皇として即位し、日本最古の令(りょう)「近江令」の制定(668年)や、最初の全国的な戸籍「庚午年籍(こうごねんじゃく)」の作成(670年)など、天皇を中心とした中央集権的な国家機構・律令制国家作りに邁進(まいしん)した。しかし、天智天皇が天智10(671)年に没すると、皇位継承をめぐって、「壬申の乱」が起き、勝利した弟の大海人(おおあま)皇子(天武天皇)が翌(672)年、飛鳥に遷都。そのため、大津宮はわずか5年で廃都となった。

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