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【志らくに読ませたい らく兵の浮世日記】志村けんさん 見ているだけで幸せでした

志村けんさん
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 物心ついてから一番最初に覚えた有名人が、志村けんだった。

 当時はザ・ドリフターズの全盛期。長い歴史を誇るドリフだから、見る人の年代によって、その面影も違ってくるかもしれない。

 私が生まれた頃は、すでに荒井注が脱退して、志村けんが活躍し始めたあとだった。私にとって、荒井注は歴史上の人物に近い。織田信長や板垣退助と同じカテゴリーだ。もちろん脱退後も長らくお元気でご存命だったけど。私が知っているのは、すでに志村けんがスターになったあとのドリフターズだ。

 なんとなく言葉を理解して幼稚園に通う時分には、親兄弟と一緒に「8時だョ!全員集合」を見ていたわけだ。子供心にその影響を受けないわけがない。そしてドリフに洗脳されたまま小学校に入学する。当時の小学生の7、8割は、そんな感じだったんじゃなかろうか。

 その頃の少年少女にとって、ヒゲダンスやスイカの早食いは一般教養だった。スイカをボタボタこぼして親に叱られるのは夏の風物詩。夏休みの宿題よりもよっぽど大切な行事だ。駄菓子屋で買ってきた付けひげをつけて踊る。これはラジオ体操と同じく必須科目だった。

 最初はグー、またまたグー、いかりや長介、あたまがパー、正義は勝つ、ジャンケンポン。土曜にドリフを見て月曜に友達と会ったときには、このジャンケンが挨拶がわりである。

 毎週土曜の「全員集合」と、1カ月に一度の「ドリフ大爆笑」は、人生最大の楽しみだった。まだ10才にも満たない人生だったけど。あの頃の子供たちは、とにかく「志村推し」か「加藤推し」のどちらかだったのだ。

 そのうち「全員集合」が終わったときは、子供心に絶望的なショックを受けた。もう立ち直れないと思った。生きているのが嫌(いや)になってしまった。しかし、その後に「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が始まって、すぐにごきげんを取り戻した。現金なものである。

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