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【一聞百見】今だから話せる「勇者の三番」広島トレード秘話 元プロ野球阪急ブレーブス選手・加藤秀司さん

イベントで懐かしい「阪急」のユニホームを着た「花の44年組」の3人。左から福本さん、加藤さん、山田さん=平成23年
イベントで懐かしい「阪急」のユニホームを着た「花の44年組」の3人。左から福本さん、加藤さん、山田さん=平成23年
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 プロ野球の公式戦開幕が延期され、高校野球のセンバツ大会も中止。〝球春〟はまだ来ない。そんなときふと〝秀さん〟に会いたくなった。昭和43年のドラフトで、松下電器から2位で阪急に入団。1位の山田久志、7位の福本豊とともに「花の44年組」と言われた加藤秀司(71)である。不動の三番として阪急黄金期を支えた男がなぜ、広島-近鉄-巨人-南海と〝渡り鳥生活〟を送ることになったのか。秀さんの波瀾(はらん)万丈の野球人生をのぞいてみた。(聞き手 田所龍一 編集委員)

■もう、どうなっても知らんで!

 加藤にはこんな逸話がある。阪急に入団して初めて参加した昭和44年1月の合同自主トレで、福本に「オレはゆっくりやるから福さん先に行って」と宣言したという。本当だろうか。

 「あぁ、言うたよ」と加藤はあっさり肯定した。「当時の阪急の練習は死ぬほど厳しかった。新人も自主トレ初日からガンガン打たされる。こんな練習についていったら、ほんまに体が潰れると思ったんや。それに、オレは3年で辞めるつもりやったから…」。衝撃の告白である。「オレなんかプロでは通用せん。3~4年でクビになると思ってた。だから契約のときに“記念に若い背番号ください”と言うたんよ」

 1位の山田が最初に付けた背番号は「25」(のちに17)。7位の福本は「40」(のちに7)。加藤はいきなり「10」。それが球団の期待の表れではなく、記念にもらった背番号だったとは。いやはや、えらいルーキーが入団したもの。当然、加藤は2軍スタートとなった。「早く試合を終わらせて、遊ぶことしか考えてなかったなぁ。なにせ松下時代、3万円の月給がプロになったら15万円。5000円もあったら新地で遊べた時代やからね。競馬にパチンコ、お酒…どうやってお金を使うか悩んだよ」

 そんな加藤が、2年目が終わった45年の秋季練習で当時、監督だった西本幸雄につかまった。「いきなり3時間、ぶっ通しでティーバッティングさせられた。監督とのマンツーマン。手の皮が破れ、バットは血で真っ赤や」。すると翌年の春のキャンプで1軍に抜擢(ばってき)される。「ちっともうれしくなかった。3年目も2軍でチンタラと野球やるつもりやったしね」。ところが、本人の思いとは別に周囲の期待はどんどん高まっていく。ついには西本監督が「今年の三番は加藤や」と言い出した。「信じられんかった。“ほんまに監督が言ったの?”と新聞記者に聞きまくったよ」

(次ページは)勇者の三番 誕生の瞬間…

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