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【河村直哉の時事論】新型コロナ グローバリズムを再考する

 人、物、金、情報が自由に行き交うグローバル化は、文明の進展に伴って起こる現実である。しかし「グローバリズム」というとき、そこには一つの価値判断が加わっている。「イズム=主義」としてグローバル化を肯定しているのである。

 約30年前の冷戦終結後、世界のグローバル化が進んだ。日本でもグローバリズム政策が取られた。身近なところで観光業を見てみよう。平成15年、小泉純一郎首相のもとで観光立国懇談会が開かれた。その報告書にはこう書かれている。「日本が観光立国を推進し、そのソフト・パワーの強化を図りつつ、文化交流に力を入れていけば(略)グローバリズムの定着に貢献することができる」。ここでは前提としてグローバル化が肯定されている。

 18年に観光立国推進基本法が成立し、観光立国は国家戦略となった。それが新型コロナ禍で大打撃を受けている。

リスクも拡散

 高度にグローバル化された世界ではリスクも瞬時に拡散するということを、私たちはいま目の当たりにしている。これまでも感染症の大流行は人類を襲ってきた。人が接するとき感染症の危険はつきものである。しかし交通の発達した現代、そのリスクはかつてと比べ物にならない。感染症にとどまらず物や金が連鎖した現代では、経済面でもリスクはすぐ世界的なものになってしまう。

 この際、少し立ち止まって、足元を見直してみるということがあってもよい。グローバリズムの危うさも考えておくべきだろう。

 新型コロナを別としても、グローバリズムへの異議申し立ては各地で起こっている。近いところでいえばイギリスの欧州連合(EU)離脱がそうである。欧州各国で反移民などを掲げて台頭したいわゆる右派政党などもそうだろう。EU自体がグローバリズムの地域的な実験場だった。移民の流入などで自国民の生活に影響が出るようになり、異議が申し立てられたのである。

 日本でいえば、たとえば著名な観光地では交通機関を利用する外国人が多くなりすぎ、地元住民の通勤や通学に支障が出るなど観光公害と呼ばれる事態が起こっていた。これもおかしい。

 筆者は、極端な自国第一主義をよしとする者ではない。しかし国あっての世界であって、その逆ではない。グローバル化を「イズム」として掲げ、自国民の生活が脅かされる事態は本末転倒であろう。

 グローバリズムは新たな成長戦略のカギのように語られてきた。経済成長しなくてよいなどというのではない。政治も企業も当然成長を求めるだろう。しかし経世済民、世を治め民の苦しみを救うという「経済」の意味から考えると、成長至上主義でなくてもいいと考える。国内経済を充足させ、国民が安定して暮らせる社会であることがまず重要ではないか。

 新型コロナ禍は、国家がまさに経世済民を果たし得るかどうかをいま問うている。感染拡大の防止策だけでなく、経済の萎縮による収入減や失業の問題も手厚く考えていかなければならない。

(編集委員兼論説委員)

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