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【一聞百見】ちゃっちゃとしなはれ! 朝ドラ「大久保さん」でロス現象 女優 三林京子さん

 「舞台女優になりたかったんです。映像は視聴者の反応がその場でわからない。でも舞台は直接わかる。それが魅力でした。いまはテレビのおもしろさもわかりますけど」。中学生の少女が夏休みや冬休みにたったひとりで上京、山田さんの事務所に泊まり込んで用事をこなす。

 三林さんには、いまも胸が切なくなる思い出がある。冬の夜、山田さんのお供で食事に行った。深夜、ようやくお開きになり事務所に帰ると、見慣れたシルエットの男性がいた。父親だった。「お母ちゃんからや、言うて、何やったか忘れましたけど渡してくれました。多分、たいしたもんやなかった。私が元気か心配で見に来てくれたんです。でも、こっちも照れくさかったのでぶっきらぼうな応対しかできなかった。いま思うと、寒いなか、いったい何時間待ってくれていたのかなあって」

華やかな美貌で、若いころから舞台に映像にと活躍(本人提供)
華やかな美貌で、若いころから舞台に映像にと活躍(本人提供)
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 父と共演したのは一度きり。昭和54年12月、大阪新歌舞伎座で上演された「男の花道」。劇中劇「櫓(やぐら)のお七」で、三林さんを人形に見立て、父の勘十郎さんが三林さんを遣(つか)う演技をした。いま、弟の三代目勘十郎さんが父の跡を継ぎ、人形遣いの第一人者として、父の当たり役の数々を遣っている。「弟には、『もうちょっとこうしたら』とか、舞台を見て気になったら率直に言います。弟も私の舞台やテレビを見て言うてくれますしね」。ジャンルは違えど父の背を追うように舞台に人生をかける姉弟。それは厳しい芸の道である。

■頭の中に舞台、女優業に生きる

 女優、三林京子さんのもう一つの顔、それは落語家の「桂すずめ」。もちろん、高座にも上がる。師匠は上方落語の大御所で、人間国宝だった桂米朝さん。平成9年に入門、キャリアは20年以上になる。「私、あほやから、そこまで大変な道と思ってなかったんです」。もちろん、それは彼女なりの言い方で、芸の道を歩む者として落語の修業がどれほど厳しいか知らないはずがない。当初は、落語の話術や間の勉強をしようと、三林さんらしい誠実さで考えたのだ。

 きっかけは桂枝雀さんだった。ドラマや舞台で何度か共演するうち、「枝雀さんひとりやったらドカン、ドカンと笑いが来るのに、私と一緒やとそこまで受けないときもあって…」。そんなとき、京都・南座で、米朝一門の落語家が大挙出演する芝居「新・次郎長物語?海道一の男たち」に出演した。「落語家のみなさんは、ちゃんとお芝居できはるんですよ。そやのに私は落語がでけへん。腹立ちましてね。あの人ら両方できるのにって」

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