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【阪神大震災25年 スポーツの力(下)】共に傷つき、共に立ち上がり ヴィッセル神戸、25年目の初戴冠

本拠地のノエビアスタジアム神戸で「神戸讃歌」を合唱するサポーター。スタンドとチームが一体となる瞬間だ=昨年12月21日、神戸市兵庫区(門井聡撮影)
本拠地のノエビアスタジアム神戸で「神戸讃歌」を合唱するサポーター。スタンドとチームが一体となる瞬間だ=昨年12月21日、神戸市兵庫区(門井聡撮影)
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 阪神大震災で神戸の街と共に傷つき、共にに立ち上がったチームが、四半世紀を経て初めてのタイトルを獲得した。今年元日に国立競技場で行われたサッカーの天皇杯全日本選手権で優勝したJリーグのヴィッセル神戸。震災当時、強化部門の責任者だった安達貞至(81)は「もう25年もたったのか」と感慨に浸る。

市民の期待に応えるため

 地震が発生した平成7(1995)年1月17日、発足したばかりのチームは初練習を行う予定だった。安達は外国人選手獲得のため、ポルトガルにいた。現地時間の午前5時ごろ、同行していた通訳に起こされてテレビをつけると、神戸の街の悲惨な様子が映し出された。「チームはどうなったんだ」。予定をすべてキャンセルし、3日かけて帰国した。

 関係者に犠牲者はいなかったが、当時、神戸市中央区の人工島ポートアイランドにあった事務所にスタッフが集合できたのは1月下旬。銅市西区の練習場はがれき置き場となっていたため使えず、川崎製鉄サッカー部からチームを引き継いでいた縁で、岡山でトレーニングを始めた。

 さらに、地震で社業に大きなダメージを受けたダイエーがメインスポンサーから撤退。チームは神戸に戻ったものの、決まった練習場所もない。存続が危ぶまれる中、安達は資金集めや練習場の確保に奔走した。

 頭を下げて支援を求め、グラウンドを借りる。ときには「こんなときにサッカーなんて」とあからさまに拒絶された。選手は空いている企業のグラウンドを渡り歩き、用意できなかったときには海岸を走った。気がめいりそうになる中、支えとなったのが、英国人監督のスチュワート・バクスターのサッカーに専念する姿勢。「チームの再建は安達に任せ、われわれは技術を磨いて市民の期待に応えよう」と選手を鼓舞した。その言葉を、安達は今もはっきりと覚えている。

(次ページ)準優勝、Jリーグ参入…サポーターが「神戸讃歌」合唱

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