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【勇気の系譜 第2部】平尾誠二さん(中)楽しみながら勝負にこだわる ラグビー史塗り替え続け

昭和57年1月の大学選手権準決勝に出場した平尾誠二さん。カメラマンの岡村啓嗣さんは「オオカミのような目だと思った」と印象を語った(岡村さん撮影)
昭和57年1月の大学選手権準決勝に出場した平尾誠二さん。カメラマンの岡村啓嗣さんは「オオカミのような目だと思った」と印象を語った(岡村さん撮影)
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 ピッチの上にオオカミのような目をした青年がいる-。昭和57(1982)年1月、東京・国立競技場で開かれたラグビー大学選手権準決勝。カメラマンの岡村啓嗣(66)がファインダーをのぞいた先に、際だって目立つ選手がいた。同志社大で1年生ながら、司令塔のスタンドオフとして出場していた平尾誠二だった。

彼の目に、どこか引っかかるものがあった。とても大きな目なんだけれど。気付けば平尾の姿ばかり追っていました

 翌年の同選手権決勝では平尾は負傷で試合に出られなかったが、仲間の勝利に涙して喜んでいた。半面、他の選手について話題を振れば、長所や短所を驚くほど的確に分析した。

とにかく身体能力が優れていた上、分析力、統率力、マネジメント力があって、創造性もある。しかもおもしろく情に厚い。仕事柄いろいろな人に会うが、こんなやつは見たことがなかった

 「君の10年後を見てみたい。追わせてくれないか」。岡村は平尾にこう切り出した。 

 平尾は少年時代から抜きんでた存在だった。中学3年で出場した京都府内の秋季大会。レベルが高い試合でラグビー関係者が注目した。当時の京都市立伏見工業高(現京都工学院高)ラグビー部監督、山口良治(76)もその一人だ。

一人目立つ子がいた。「このスペースに行け」と思ったら、その通りに動く。これはいい子やなと

 「立体的な広い視野で見られる」「どこにスペースがあるか、俯瞰(ふかん)できる」。その後のプレーを知る誰もが語る素質は、中学時代にすでに姿を見せていた。

入学志願者の中に名前を見つけた瞬間、跳び上がった。3年後の日本一の光景が浮かんだんです

 端正な顔立ちやプレースタイルから、華やかな印象のある平尾だが、伏見工時代はまじめで寡黙な青年だった。ただラグビーが好きで、練習量は誰にも負けなかった。3年時には主将に就任。ストイックな姿勢に周囲は一目置き、チームに結束力が生まれていった。

 山口の脳裏に刻まれているのが、3年のときの全国高校選手権の決勝。足を痛めた平尾は、プレーできる状態ではなかった。

(次ページ)「おまえは主将。立ってるだけで良いんだ」

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