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【勇気の系譜 第2部】平尾誠二さん(上)「ワンチーム」原点つくった「洋魂和才」の信念

ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会での戦いを終えた「桜の戦士」。礎を作ったのは平尾誠二さんだ
ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会での戦いを終えた「桜の戦士」。礎を作ったのは平尾誠二さんだ
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 あの熱狂から2カ月以上が過ぎ、日本ラグビーの躍進を思うとき、存在感が増しているのは「ミスターラグビー」と呼ばれた男の生きざまだ。10月20日。ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会での戦いを終えた「桜の戦士」たちは、涙しながらピッチ上で円陣を組み、歓声がやまない約5万人のスタンドに向けて笑顔で応えた。ジェイミー・ジョセフヘッドコーチ(HC)を指揮官に、選手31人のうち15人を外国出身者が占めたチーム。史上初となるベスト8に進出し、日本ラグビー界に新たな歴史を刻んだが、その軌跡は平尾誠二の信じた道でもあった。

「ONE TEAM(ワンチーム)」。大会が進んでいくうちに、あのとき彼が言っていたのはこういうことだったんだと、私も驚きました

 カメラマンの岡村啓嗣(66)の脳裏には、35年来の友人だった平尾の言葉が去来した。都内の自宅で準々決勝・南アフリカ戦を見守った10月20日は、3年前に53歳で急逝した平尾の命日だった。

 「あのとき-」。1999年W杯を目指し監督として代表を率いた平尾は、現代表HCのジョセフら最多となる外国出身者6人をメンバーに選んだほか、代表史上初めてニュージーランド人のアンドリュー・マコーミックを主将に据えた。

 ラグビーは、一定の条件を満たせば外国人でも日本代表になることができる。今大会の活躍で理解が広がった感があるが、当時周囲からは多くの批判が寄せられた。「外国人キャプテンなんて」

 後にマコーミックが「私を選ぶことに勇気が必要だったでしょう。だからその気持ちに応えたいと思った」と明かしたほどだったが、平尾は揺るがなかった。

1999年W杯を目指し、平尾誠二さん(右)は日本代表主将にマコーミックさんを起用した
1999年W杯を目指し、平尾誠二さん(右)は日本代表主将にマコーミックさんを起用した
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彼は「国籍も人種も宗教も思想も関係ない。一つの目標のために選手が集まってチームを作る」と言っていました。今大会前も、世間では「なぜ外国人選手が多いんだ」との意識があったが、勝ち進むうちに変わっていったでしょう

 今大会の日本代表は、ニュージーランド出身の主将、リーチ・マイケルのもとで、歌詞の意味までも学んだ国歌「君が代」を歌って試合に臨んだ。「代表のプライド(誇り)」を口にし、楕円(だえん)球をつなぎながら一丸となって愚直なまでに前へ向かう姿はラグビーファン以外の心も熱くした。

(次ページ)「和魂洋才」ではなく、「洋魂和才」。その原点は

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