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【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】増加するトイレ避難民が意味するもの

避難所求めたモンテーニュ

 1586年9月、モンテーニュの城のある地方はペストの襲撃を受け、彼は一家を引き連れて旅に出る。避難所を求めての放浪である。だが、ペストが猛威を振るう地方から逃げてきた一家は、どこでも冷たくあしらわれる。彼はこう記している。

 《わたしはあんなにお客さまを泊めたのに、家族のための隠れ家を求めるのにたいへん苦労した。放浪の一家ともなれば、友達にも・身内の者にさえ・こわがられ、どこへいっても忌避された。一行のうちの一人の指の先が痛み出したというだけで、さっそく宿りを移さなければならなかった》

 こうした旅は、ペストが沈静化する翌年の3月ごろまで続いたらしい。そしておよそ半年ぶりに帰宅した彼は愕然(がくぜん)とする。《牧場にも田畠にも、また森の中にも、見わたす限り人影を見ることなかりき》というローマ最大の詩人の一人、ウェルギリウスの詩を彼は引用して惨状を嘆く。城の周辺で土地を耕していた農民たちは全滅していたのである。

 時は流れ1969年。ベトナム戦争が泥沼化していた時期に、1枚のアルバムがリリースされた。タイトルは「レット・イット・ブリード」。「血の流れるままに」とでも訳せばいいだろうか。アーティストは言うまでもなく、ザ・ローリング・ストーンズ。

 歌詞カードを手に、A面1曲目の「ギミー・シェルター」(オレに避難所をくれ)を聴いてみた。パチパチと弾けるようなスクラッチノイズのなか、《嵐が今日、オレの命を脅かす。避難所を手に入れなきゃ、オレの人生は終っちまう》とミック・ジャガーは歌いだし、次のようにたたみかける。《ガキどもよ、戦争は、たった一発の銃声の向こう側にあるんだぜ》  

 この世界に伝染病、天災、戦争、共同体や組織の強制力などがある限り避難所は必要となる。

ひきこもりはカナリアの沈黙

 「ギミー・シェルター」を聴きながら思った。「いまを生きる日本人ならきっとこの曲に共感するのでは」と。外を見れば日本を敵視する中国の軍拡と北朝鮮の核武装。内を見れば急激に進む少子高齢化を主因とする経済の停滞。令和元年の出生数は前年比5・9%減の86万4千人だった。明治32年に統計を取り始めて初めて90万人を割った。このままのペースで出生数が減ってゆけば、従来の社会保障システムが破綻するのは時間の問題だ。誰も明るい未来像など描けない。

 かつては「世界でもっとも成功した社会主義国」と揶揄(称賛)された日本という国自体が、避難所たりえなくなりつつある。野党がまったく国民に信頼されないのは、こうした冷厳な現実を無視して社会保障の充実を訴えるからだ。国民はバカではない。

 こうした危機的状況のなかで、身近な避難所に逃げ込む人間が増加している。ひきこもりだ。内閣府の調査によれば、15歳~39歳で約54万1千人、40歳~64歳で約61万3千人と推計されている。15歳から64歳の人口はおよそ7500万人。その15%が自宅を避難所にして逃げ込んでいる。

 彼らは、炭鉱内で有毒ガスが発生していることをいち早く人間に知らせてくれるカナリアかもしれない。カナリアの「沈黙」にわれわれは耳を傾けるべきだとは思うが、この国に解決するだけの余力があるのか、とも思う。多数のカナリアが誕生した主因は、人口増加と経済成長を前提に設計された「優しい社会」が立ちいかなくなったことだろう。瀕死(ひんし)のカナリアを救うには「もっと優しい社会」の構築が求められるはずだが、生産年齢人口が急激に減少する状況では、びっくりするぐらいの大幅増税が必要となるはずだ。そんな政策に国民が納得するかは疑問だ。

トイレの個室はふさがったまま

 ひきこもりに関連して最近気にかかることがある。統計などあるはずもないが、トイレ個室の平均滞在時間がどんどん伸びているように感じるのだ。先日、便意を催して東京駅八重洲地下街のトイレに入った。3つある個室はすべてふさがっていた。待つしかない。下腹にけっして負担をかけないようにして、小用の人々の邪魔にならぬ場所に立つ。10分が経過。個室の中からは何の音も聞こえてこない。いったい何をしているのだろう。待つこと15分。ついにあきらめて別のトイレの場所を案内板で確認して走った。

 JRが国鉄だった時代、駅のトイレの不潔さは言語を絶するもので、用をたしたら一刻も早く脱出したいという惨状だった。わが国のトイレ事情が飛躍的に向上したのは、国鉄がJRとなり、駅のトイレが見る見るうちに清潔になったのがきっかけだったように思う。そして、お尻洗浄機能を持った洋式便器の普及によって、トイレは快適な空間へと変貌を遂げた。

 行きつけのバーで、さまざまな年齢層の男性客に自分の体験を話して感想を聞くと、東京のような大都会においては、トイレがオアシス・避難所になっているのは常識らしい。人によっては、自分の行動範囲の中にお気に入りのトイレをいくつか持っているという。以前なら新聞や雑誌を備えた喫茶店がその役割を果たしていたが、スマートフォンを持つ現代人に新聞や雑誌は不要。それゆえ、清潔で無料のトイレが重宝されているという。

 感想のなかで気がかりなことがあった。会社のトイレがふさがっていることが多いというのだ。多くの職場では業務中にスマホを見ることが禁止されているため、トイレで私的メッセージを確認、返信する人が多いためだろう。それだけではなく、メンタルヘルスに不調を抱えた者が、職場のストレスから逃れるためトイレに入ってスマホを触っていることも多いらしいのだ。もちろんデータなどないので、決めつけることはできないが。

 身の回りにトイレという避難所が多数あり、いつでも逃げ込むことができるというのは、慶賀すべきことかもしれない。だが、平時にこれほどの避難所が必要な社会は、病んでいるとしか言いようがない。否、日本はもはや平時ではないのだ。腸の弱い私はこれからも、モンテーニュのように避難所を求めて放浪することになりそうだ。

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)によった。  (文化部 桑原聡)=隔週掲載

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