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【政治デスクノート】昭和の大宰相に挑んだ社会党のエース

中曽根康弘首相(右)と会談する石橋政嗣社会党委員長(いずれも当時)=昭和59年9月首相官邸
中曽根康弘首相(右)と会談する石橋政嗣社会党委員長(いずれも当時)=昭和59年9月首相官邸

 12月9日、昭和政治史を象徴する「55年体制」で社会党を率いた政治家が年を越さぬまま鬼籍に入った。元社会党委員長、石橋政嗣(まさし)氏。95歳だった。長期政権を築いた中曽根康弘元首相に対峙(たいじ)し、日米安全保障条約の解消と自衛隊解体を目指す持論の「非武装中立」で論戦を仕掛けた。中曽根氏は昭和61年の衆参同日選を制し、平成、令和と時代が移っても昭和の大宰相として記憶に刻まれるが、同日選に敗れた石橋氏は委員長を引責辞任し、平成2年の衆院選に出馬せずひっそりと政界から身を引いた。

 石橋氏は社会党で総務局長や国際局長、書記長、副委員長を歴任した。岸信介政権の「安保国会」では飛鳥田一雄氏らとともに論陣を張り、「安保5人男」と呼ばれ、将来性と実力を備えていた。

 昭和58年9月、満を持して委員長に就任した。その石橋氏が政治的信条も政策も異なる中曽根氏を相手に、安全保障の主張を真正面からぶつけた同年9月の衆院予算委員会は、政治史に残る論戦の一つに数えられる。

 石橋氏は質問の冒頭でこう切り出した。

 「首相になった中曽根さんに私が質問するのは、きょうが初めてだ。社会党の委員長に今回就任したわけだが、党の委員長が予算委員会で質問するのも初めてではないかなと思っている」

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