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元パナソニック子会社はEVで生き延びた

TOPは小型モビリティー搭載の駆動用モーターで技術力を知らしめた=福井県越前市
TOPは小型モビリティー搭載の駆動用モーターで技術力を知らしめた=福井県越前市
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 平成3(1991)年のバブル崩壊が影響した産業の空洞化と、平成20(2008)年のリーマン・ショックによる世界的不況。経済史に残る大事件を、松下電器産業(現パナソニック)から独立して生まれたモーター製造会社「TOP(トップ)」(福井県越前市)は乗り越えてきた。新会社の設立、農業への進出、家電から電気自動車(EV)への転進…。地方企業の奮闘を追った。

会社がなくなる

 前身にあたる「武生(たけふ)松下電器」は昭和48年、松下電器の生産子会社として設立。武生市(現・越前市)が工業団地に誘致した第1号企業だった。冷蔵庫やエアコンのコンプレッサー、洗濯機や掃除機用のモーターなどを製造してきた。

 長年地元で操業してきたが平成15年5月、武生松下の社長が幹部を集めて告げたのは、会社を清算することだった。

 「まさかゼロになるとは思っていなかった」。こう振り返るのはTOP社長の山本恵一さん(70)。当時製造業は厳しい国際競争のなか、安価な労働力を求め生産拠点を中国に移管する動きが加速していた。松下も事業整理を進めており、工場規模の縮小は覚悟していたが、会社がなくなる事態は驚きでしかなかった。

 ここで松下側から提案されたのが、事業を引き継ぐ新会社の設立だった。従業員約700人を抱える工場がなくなれば、地域経済の混乱は必至。残った受注もあり、影響を小さく抑える必要があったためだ。こうして製造課長だった山本さんを含む工場幹部3人が取締役になり、同年10月、TOPを設立した。TOPはタケフ・オリジナル・プロダクションの頭文字。武生の地で、ものづくりの灯を消さないとの思いを込めた。

リーマン・ショック

 船出は厳しかった。技術部門などの約100人は本社側に吸収され、製造部門からも先行きに不安を覚えた20~30代の社員や能力の高いベテランが辞めたことで、従業員数は約400人までしぼんだ。

 それでも従業員に作業を習熟させるなどし、事業は軌道に乗り始めたが、20年、リーマン・ショックの世界的な不況が襲う。受注は落ち込み、臨時休業も余儀なくされ、売り上げは6割まで減った。

TOPの製造現場。車載向けの製品では特に管理を徹底している=福井県越前市
TOPの製造現場。車載向けの製品では特に管理を徹底している=福井県越前市
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 しかし、政府の支援策を活用、従業員に農業経験者も多いことから農業を営む子会社を設けるなどし、しのぐことができた

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