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フェンシングの剣さばきを「見える化」 改革の先頭はメダリスト会長・太田雄貴

「40年、50年後もずっと“わくわく”を追求したい」と話す太田雄貴さん(納冨康撮影)
「40年、50年後もずっと“わくわく”を追求したい」と話す太田雄貴さん(納冨康撮影)

 今、フェンシング界が数々のユニークな施策で注目を浴びているのをご存じだろうか。

 今年4月には世界選手権の日本代表選考基準に、英語の試験成績を導入することを発表。先月、東京の「LINE CUBE SHIBUYA」(渋谷公会堂)で行われた全日本選手権では、2日間計約3200人の観客が、モニターに表示される剣先の軌道映像や、選手の心拍数にくぎ付けになった。

 その中心で陣頭指揮を執っているのが太田雄貴さんだ。日本フェンシング史上初の五輪メダリストとして知られるが、今は34歳の若さで、日本フェンシング協会の会長を務める。持ち前の分析力と、失敗を恐れない実行力で、次々に変革を進める手腕には、まさに感服の一言だ。

 「アスリート出身だからすごいって言われてる側面はあると思います。だって、これがハーバードでMBA取得…なんて人だと普通になっちゃうでしょ」

 そう笑って謙遜しながらも、立て板に水のごとく、アイデアについて語る姿を見ると、本気でフェンシングの未来に向き合っていることが伝わってくる。そして、何とも楽しそうなのだ。

 太田さんがこのほど上梓した「CHANGE 僕たちは変われる」には会長就任後の2年間で行ったさまざまな変革と、その紆余(うよ)曲折をまとめた。スポーツの普及と発展のヒントとなるだけでなく、一般のビジネスマンにとっても、参考になるアイデアが満載となっている。

しんどい日々

 フェンシングを始めたのは小学校3年生の時。フェンシングの経験者だった父親の「スーパーファミコンを買ってあげるから」という誘いに釣られ、練習の日々が始まった。北京五輪は個人、ロンドン五輪は団体で銀メダルという快挙を達成したが、心境は複雑だった。

 「メダルをとって、いきなり名前が知られるようになって。しんどいことのほうが多い気もしましたね。何でこんなにつらいのにフェンシングやってるんだろうとか、よく思ってました」

 現役引退後は、コーチや監督ではなく、自分のネームバリューを生かそうと、マーケティングやPR、普及の道を選んだ。ただ、協会の会長就任は青天の霹靂(へきれき)だったと明かす。

 「今でも迷ってばかりですよ。でも自分が頑張らざるを得ない状況を作ることが多分、僕が一番成長する方法なんです」

わくわく感重視

 変革アイデアのうち、まず注目すべきは、競技の「見える化」を実現したこと。剣さばきが速過ぎるフェンシングには、観戦するのに分かりにくいという課題があった。現在は剣先の動きを即座に解析、可視化するシステムが進化し、今や大会の目玉の一つに。観客数はわずか2年で約9倍と大幅に増えた。

 協会を支える人の集め方もユニークだ。同協会は、さまざまな業界の第一人者から無償でアドバイスを受けており、副業・兼業という形で優秀な戦略プロデューサーも活躍している。なぜ、報酬を度外視しても多くの人が集まるのか。

 「わくわくする気持ちって案外お金では買えない。協会に関わってもらえれば、スポーツの変革に携われ、オリンピックなどにも、見るよりも近いところで関われる。お金で買えない価値や経験を提供できているからじゃないかと思います」

 今、数々の不祥事で揺れるスポーツ界の中で、進化し続けるフェンシング界の挑戦は、希望の光となりつつある。

 「大事なのは、アイデアで終わらせず、失敗を織り込み済みで実行していくこと」

 東京オリンピック、そしてもっとその先の、アスリートの実りある将来まで-。革命児が突き出す剣先から目が離せない。     (文化部 加藤聖子)

     

 おおた・ゆうき 昭和60年、京都府生まれ、滋賀県育ち。小3でフェンシングを始め、北京五輪男子フルーレ個人で銀メダルを獲得。日本フェンシング界初の五輪メダリストとなる。現在は日本フェンシング協会会長、国際フェンシング連盟副会長。著書に「太田雄貴『騎士道』」など。

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