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【古典の夢を見る】人妻の不義 狂いだす歯車… 「堀川波の鼓」

「堀川波の鼓」の一場面。不義をした妻、お種(中村時蔵)にとどめをさす彦九郎(片岡仁左衛門)=京都市東山区の南座(c)松竹
「堀川波の鼓」の一場面。不義をした妻、お種(中村時蔵)にとどめをさす彦九郎(片岡仁左衛門)=京都市東山区の南座(c)松竹

 江戸時代、人妻の不倫(姦通)は死罪であった。相手の男も死罪。まして、夫が武士の場合は、「女敵討ち(めがたきうち)」といって、不倫相手の男を夫が自ら討つことも許されていた。

 21世紀、不倫は法的に犯罪ではない。だが、いまも、人妻の不倫にはなにかしら切羽詰まった凄(すご)みのようなものが感じられる。そんな人妻の恋は古今東西、文学や演劇などさまざまな芸術に昇華した。

 京都・南座の「顔見世興行」で上演中の「堀川波(ほりかわなみ)の鼓(つづみ)」は、近松門左衛門の姦通物の名作である。近松は生涯に、今作をはじめ、「鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」と3作の姦通物を書いた。だがいずれの作品もただ、人妻の道ならぬ恋の官能や苦悩といった一元的なテーマではない。では、何を描こうとしたのだろう。

 ◇ 

 お種(たね)と、鳥取藩士の彦九郎は恋愛結婚をして仲むつまじい夫婦だった。だが、彦九郎はあまり出世せず、隔年ごとに江戸に詰めているため、お種は寂しい日を送っていた。そんなある日、お種に横恋慕している夫の同僚、床右衛門に迫られる。お種はその場を逃れるため、とっさにあいびきの約束をするが、そのやりとりを、鼓の師匠、源右衛門に聞かれ、お種は口止めに酒を勧める。生来、酒好きのお種は自分も酔ってしまい、無意識のうちに源右衛門と関係を持つ。運の悪いことに、その現場を床右衛門に見つかり-といった展開。

 お種が愛していたのはあくまでも夫の彦九郎であって、源右衛門との不義は酒の上の過ち。決して源右衛門を愛してはいない。だが、不運が重なったために結果的に不義に陥り夫にも発覚、自ら死を選ぶ。

 確かに悪条件が重なった不運はあるが、お種に過失はなかったとはいえない。

 近松は冒頭、夫の留守中、夫の着物を抱きしめながら、とろんとした表情で孤閨(こけい)の寂しさを訴えるお種の姿を描いている。その風情はどこかあやうく、男につけいる隙を与えているように思われる。しかも、その場逃れのためとはいえ、あいびきの約束をするというのはあまりにも短慮である。

 今月、彦九郎を演じている片岡仁左衛門は「お種は現代でいう欲求不満だった。そこへ不運が重なった。現代でも十分ありうる話です」という。近松劇は普遍性を持って、現代の私たちに迫ってくる。それが近松の人間を見る目の深さである。

      ◇

 実は、近松が書いた他の2作の姦通劇も、単なる人妻の恋物語ではない。「大経師昔暦」は、よんどころない事情や勘違いから不義に陥る話であり、「鑓の権三重帷子」は不義の疑いをかけられた人妻が、夫が女敵討ちをするのを、その立場をおもんぱかって本当に関係を持つという話である。人は誰でも過ちを犯す。何がきっかけで運命の歯車が狂っていくかわからない。近松は、そんな人生の側面をあぶり出そうとしたのではないだろうか。

 ところで、妻に不倫された夫、彦九郎の立場はさらにつらいものだ。ただ、仁左衛門は「彼は過ちを犯した女房に対して怒ってはいない」のだという。同情し憐(あわれ)み、尼になって命ごいすれば助けたいとさえ思っていたのだと。「しかしそれでも、彦九郎は侍として、成敗しなければいけない。そこにこのドラマの深さがある」という。

 自害したお種を見つめる彦九郎の慟哭から、人生の無常がじわりと浮かび上がってくる。

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