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【一聞百見】東京五輪も…世の中のためスポーツ支援30年 ミキハウス社長、木村皓一さん(74)

「頑張る選手を見て世の中の人々が夢や目標を持ってくれれば」と話す木村社長=大阪府八尾市のミキハウス本社(南雲都撮影)
「頑張る選手を見て世の中の人々が夢や目標を持ってくれれば」と話す木村社長=大阪府八尾市のミキハウス本社(南雲都撮影)
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 東京五輪(来年7月24日・開会式)の開幕まで8カ月を切った。日本で行われる2度目の夏季五輪を特別な思いで待ち望んでいる企業経営者が大阪にいる。1992年バルセロナ五輪から所属選手を五輪に輩出し続けているミキハウス・木村皓一社長(74)だ。スポーツ選手の支援に乗り出して約30年。東京五輪にも、カヌーの羽根田卓也ら複数の選手の出場が決定している。そもそもなぜスポーツ選手の支援に乗り出したのか…。その思いや東京五輪への期待、将来のスポーツに対する国や企業の果たすべき役割について本音を聞いた-。(聞き手 特別記者・植村徹也)

■世の中に「光」もたらすため

 「僕は基本的に自分の生き方とその中身というのをいつも自分自身に問うわけですよ」。木村さんは笑顔でそう切り出した。昭和46年に三起産業を創業して以来、業績も必要だが同時に品格も必要というポリシーを通してきた。いい物を作って使ってくれたお客さんが喜んでくれる…という企業精神とともに大事にしてきたのが社会貢献だ。

 「まだ貧乏でお金もない頃に車いすバスケの応援などをしていました。20台を年1回、施設に贈っていたんです。誰が贈っているかわからんようにして。ある時、間に入っていた人が見るに見かねて“ミキハウスのロゴを車いすに入れます”と言うてきたので、そんなんやめてくれ、こっちは宣伝でやってるんと違うんやからと断りました」。車いすを贈られた親子が喜ぶ姿を見るだけで心は満ち足りた。そうした思いがスポーツ選手支援の背景にあるのだろう。

 まだ女子柔道が五輪の公開競技だった1988年ソウル五輪後から佐々木光と田辺陽子らをサポート。4年後のバルセロナ五輪では所属選手として出場した田辺が72キロ級で銀メダルを獲得。所属選手として初めてのメダルだった。「スポーツ選手を支援するのは宣伝効果があるとかじゃあないんです。だって女子柔道なんか、サポートし始めた頃は正式な競技でもなかった。卓球だってそうでしょう。まるで宣伝にはならんかったんやから」。

 言う通り、所属選手が活躍したからといって商品の売り上げが格段上がるわけではない。知名度が上がることと本業とは直接的な関わりは薄い。それでも支援を続ける理由は、夢をかなえようと頑張る選手を見て世の中の人々が夢や目標を持ってくれればいい…という思いからだ。

メダルが期待されるミキハウス所属選手の一人、カヌーの羽根田卓也。10月の大会で東京五輪代表を決めた =東京都江戸川区のカヌー・スラロームセンター(納冨康撮影)
メダルが期待されるミキハウス所属選手の一人、カヌーの羽根田卓也。10月の大会で東京五輪代表を決めた =東京都江戸川区のカヌー・スラロームセンター(納冨康撮影)
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 しかし、スポーツ支援を始めて約30年が過ぎ、木村さんの思いとは裏腹の効果が本業に及んでいる。ミキハウスが創業した頃に比べ、日本の出生率は落ちた。「もう無茶苦茶や。3分の1やね。これはわれわれみたいな商売をしていると見通せました。だから事業は縮小するか、世界制覇に持っていくか…どっちかやった」。そこで、パリやニューヨークに進出し、上海万博にも出店した。一連の戦略の中で会社のロゴをつけたスポーツ選手が世界を舞台に活躍することは「世界の人たちが八尾の服店を知るツールになった」と話す。そして、今や所属選手の活躍は社員のモチベーションや就業意欲につながっている。

 東京五輪にはすでにカヌーの羽根田やレスリングの文田健一郎ら5選手の出場が内定。空手の清水希容(きよう)は1日、五輪代表入りを決めたばかりだ。出場した選手たちが夢舞台で躍動したら、世の中に明るい光をもたらすだろう。社会貢献の思いから始めた木村さんの志もその時、東京で大きな花を咲かせる。

(次ページ)ミキハウスの選手たち続々と五輪内定、コロンビア代表にも…

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