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【歴史シアター】三蔵法師の“孫弟子”行基、弾圧から国家支援へ 師の寺院を改修した山崎院跡

行基が営んだ山崎院跡。師匠・道昭の山崎寺の跡にあった =京都府大山崎町
行基が営んだ山崎院跡。師匠・道昭の山崎寺の跡にあった =京都府大山崎町
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 奈良・東大寺の大仏造立の立役者として知られる奈良時代の高僧・行基(668~749年)が造営した山崎院(京都府大山崎町)。跡地からは、平城宮で使用されたものと同種の瓦が出土しており、仏教の民間布教を進め、国家から弾圧された行基ながら、山崎院造営では、実は国家が支援していたことがうかがえる。山崎院は行基の師である高僧、道昭が営んだ寺院(山崎廃寺)を前身としたことも分かっており、道昭死後30年余を経て、師の寺院をリニューアルさせたのが山崎院だった。(編集委員・上坂徹)

◆都城と同種瓦 唐草文…荘厳な空間

 行基の事績を記録した平安時代の『行基年譜』(年譜)によると、行基が畿内に建立した寺院(道場)は49カ所。そのうちのひとつが「山崎院」で、山背(城)国乙訓郡山崎郷にあり、天平3(731)年に造営されたという。

 跡地からはこれまでの発掘調査で、平城宮の建物に使われたものと同種の軒丸瓦、7世紀の飛鳥寺東南禅院と同じ笵(はん)(文様をつけるための型)を使った瓦や塑像(そぞう)、焼損した彩色壁画片、●仏(せんぶつ)(レリーフ状の仏像)などが大量に出土している。建物遺構は確認されていないが、出土遺物から、山崎院の堂内は唐草文などの壁画で彩られ、塑像や●仏を安置した荘厳な空間が形成されていたようだ。

 行基は15歳で出家。薬師寺で道昭に師事し、法相宗などを学んだ。『行基菩薩傳』(平安時代末)によると、行基は慶雲元(704)年から、民間布教を始めたという。「多くの人々を教化した。僧侶や俗人が慕って付き従い、どうかすると千人単位で数えるほどだった」(『続日本紀』)

出土した彩色壁画片。唐草文が描かれていた
出土した彩色壁画片。唐草文が描かれていた
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 行基は布教とともに、畿内一円でため池開発や架橋、港湾整備、道路建設といった社会事業を展開。特に架橋は6カ所で実施しており、山崎の地でも、桂川、木津川、宇治川が合流して淀川を形成するあたりに、山崎橋を架けた(725年)。『年譜』や『行基菩薩傳』では、この地に道昭が架けた橋があったものの、朽ち果てて橋脚だけが残っている姿を見て、行基が再建を思い立った、としている。

(次ページ)屋外での布教を禁圧された後も…

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