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【一聞百見】凜として涼やかに 深遠なる世界を極めて 能楽観世流シテ方・大槻文蔵さん(77)

芸養子に迎えた大槻裕一さん(左)を指導する大槻文蔵さん =大阪市中央区の大槻能楽堂(沢野貴信撮影)
芸養子に迎えた大槻裕一さん(左)を指導する大槻文蔵さん =大阪市中央区の大槻能楽堂(沢野貴信撮影)
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■体力と技術、つねに葛藤

 平成28年、人間国宝に認定、昨年は文化功労者にも選ばれた。名実ともに能楽界を牽引(けんいん)するひとり。「大変ありがたい分、責任も重く感じています。この年齢になりましたので、大曲を依頼されることが多いのですが、長時間に及ぶ曲だと、体力、気力とも大変になってきています。ちゃんとできるか心配で仕方がない」と、少し笑いながら謙遜する。どんなときも淡々とした振る舞い。インタビューに答える言葉は決して多くない。だが、心の内を率直に語って、誠実さを感じさせる。

 最近は、あまり上演される機会のない大曲を勤める際、「この曲はこれが最後かな」と思うことがしばしばある。昨年、東京で勤めた「芭蕉(ばしょう)」は「お相手のみなさん(共演者)にも恵まれ幸せな舞台を勤めさせていただきました。もう『芭蕉』はおしまいです」。9月に勤めた「羽衣」では、地頭(じがしら)を勤めた、同じく人間国宝の梅若実玄祥(うめわか・みのるげんしょう)さんに「結構でしたね」と声をかけられたと、顔をほころばせた。

 「若いときは体がよく動くので、ある意味、楽に勤められる。ところが年をとってくるとエネルギーを使わないと表現できなくなり、『羽衣』のような曲は、そう見せずに自然に優雅に舞うところに高度な技術が必要なのです」。77歳の能をどう勤めるのか。体力が衰えてくるとき、能楽師は何でカバーするのだろう。それが目下の課題だという。

 「舞台で長時間座ったあと、すぐに、すっと立って舞うのはなかなか大変なものです。年を取ると作品の解釈や人生経験は深くなるが、逆に体力はなくなってくるので表現する技術も落ちてくる。近年はつねに、その葛藤のなかで舞台を勤めています」

 文蔵さんは能楽師としてだけでなく、大槻能楽堂の当主としても獅子奮迅の仕事ぶりだ。自主公演の年間テーマを現代社会にありようを考えながら決定し、毎月の演目と配役を考えて、ときには自ら出演依頼をする。現在、能楽堂は大規模な改修工事のため休館中だが、その資金集めに奔走、建設会社との交渉も行う。

 「まあ、しんどくもあり、楽しくもあり、といったところですね。自分が考えた公演をお客さまが喜んでくださったときのうれしさはたとえようもありません」

 それは若き日、尊敬する観世寿夫さんが言った「能は特殊な仕事だが、能楽師は自分を特殊な人間と思ってはいけない」ということの実践でもあろう。

 能楽堂の第1期の改修工事は今年中に終わり、来年1月3日から多彩な演目をそろえ、華やかにリニューアル公演が行われる。「現代は、能の真のおもしろさを分かっていただくには大変難しい時代です。ただ、小学校に公演に行っても、ずっと目をこらして見ている子が必ず何人かいる。日本人の血の中には能の美しさや本質を感じ取る感性が流れているのです。私たちはそれを信じ、これからもいい舞台を作っていきたい」。正座する姿は凜と美しく、背筋は涼やかに伸びている。

     ◇

【プロフィル】大槻文蔵(おおつき・ぶんぞう) 昭和17年9月25日、大阪生まれ。祖父・大槻十三、父・大槻秀夫、観世寿夫、八世観世銕之亟(てつのじょう)に師事。4歳で初舞台、19歳で「道成寺」を披(ひら)く(初演)。能の最奥の曲とされる「檜垣(ひがき)」「姨捨(おばすて)」「関寺小町」の“三老女”を完演。復曲では「敷地物狂(しきじものぐるい)」など、新作では哲学者の梅原猛さんと組んだ「河勝(かわかつ)」をはじめ現代における能の意義と可能性を追求する。本拠地とする大阪の大槻能楽堂では35年以上にわたって自主公演を開催。人間国宝、文化功労者。能楽協会大阪支部長も務めている。

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