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【一聞百見】凜として涼やかに 深遠なる世界を極めて 能楽観世流シテ方・大槻文蔵さん(77)

「これからも能の普及のため、現代に添った自主公演を続けていきたい」と話す大槻文蔵さん =大阪市中央区の大槻能楽堂(沢野貴信撮影)
「これからも能の普及のため、現代に添った自主公演を続けていきたい」と話す大槻文蔵さん =大阪市中央区の大槻能楽堂(沢野貴信撮影)
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■運命の出会い

 人には誰でも大切な出会いがある。その後の人生を決定づけてくれるような運命的な出会いだ。大槻文蔵さんにとってのそれは、20代のときに訪れた。世阿弥の再来ともいわれていた観世流シテ方、観世寿夫(ひさお)さん(1925~1978年)の「定家」を見たのだ。「僕にとって革命的な舞台だった」と振り返る。「舞台全体に立ちこめる静かな緊張感。体の内へ内へと入っていく力。すべてに圧倒されました。能というのはすごい芸能なんだと確信しました」

 そもそも、大阪の能の家に生まれた文蔵さんにとって、能の世界に進むことは自然のなりゆきだった。幼い頃から、祖父、大槻十三さん、父、大槻秀夫さんに師事。「お稽古も舞台に出るのも割に好きでしたね。能がよくわからないなりに楽しかったんでしょう」。文蔵さんが生まれる7年前の昭和10年、祖父の十三さんが現在の大阪市中央区上町に大槻能楽堂を創建。ここが現在まで、大阪の能の一大拠点となる。「当時、能の公演はいまほど盛んではありませんでしたが、能楽師の人たちが集まってきては、謡を謡ったり、祖父や父と能の話をしていました。そんな環境でしたから能の道に進むことをごく自然に受け入れていたと思います」

 もちろん、それまでも寿夫さんの舞台を見ていた。だが、真価を感じるには、文蔵さんもまだ若すぎたのかもしれない。なにしろ、20代で見た「定家」は稲妻のような衝撃だった。当時、寿夫さんは30代後半。華やかでありながら能の本質を追求した舞台は能楽界を揺り動かしていた。文蔵さんをはじめ、現在の能楽界の第一線で活躍する人たちの多くは寿夫さんの薫陶を受けている。文蔵さんも教えを受けるため20代半ばから約10年、東京に通った。寿夫さんが折に触れ語った言葉が忘れられない。〈能楽師は特殊な仕事だが、能楽師は自分を特殊な人間だと思ってはいけない〉と。

 「たとえ古典芸能に携わっていても、私たちは現代社会の中で生きているわけですから、つねに社会性を忘れてはいけない。その考えは能に臨む上で生涯の指針になりました」

「定家」を勤める大槻文蔵さん。複雑な愛の妄執を表現した =平成26年9月、京都市左京区の京都観世会館
「定家」を勤める大槻文蔵さん。複雑な愛の妄執を表現した =平成26年9月、京都市左京区の京都観世会館
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 今年1月に亡くなった哲学者、梅原猛さんとも能を通して親交があった。梅原さんが書き下ろした新作能すべてに演出や出演などで携わったのだ。「あるとき、先生が『世阿弥が僕に乗り移ってきたんだよ。これから能を研究するからね』とおっしゃったんです。しばらくして、新作能『河勝(かわかつ)』を書き下ろされました」。能の始祖といわれる秦(はたの)河勝を主人公にした作品で、文蔵さんは演出などを担当した。

 「台本を見て驚きました。能の謡の古文ではなく現代語で書かれている。しかも劇中、梅原先生ご自身が登場し、河勝の怨霊の謎を探るため新幹線に乗って赤穂に行くという内容です。従来の能の感覚からするとあり得ない。でも現代にはこういう能も必要なのです」。そのとき、思った。芸術というのは何物にも縛られないものだと。

「制約を作っても、とらわれてもいけない。大切なことを先生から教えていただきました」

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