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【石仏は語る】格調高い解脱上人の供養塔…笠置寺の五輪塔 京都府笠置町

笠置寺(笠置寺)の周辺地図
笠置寺(笠置寺)の周辺地図

 藤原貞慶(じょうけい)は鎌倉時代前期の法相宗の学僧。後白河上皇の近臣として活躍した藤原通憲(みちのり)(信西)の孫で、藤原貞憲(さだのり)を父に持ち、奈良・興福寺に入って11歳で出家。叔父の覚憲に師事して法相・律を学びました。号を解脱房(げだつぼう)といい、勅謚号(ちょくしごう)(勅命による贈り名)は解脱上人と称しています。

 興福寺の代表的な法会である維摩会(ゆいまえ)の研学受持を勤め、学僧として期待されていました。が、僧の堕落を嫌って建久4(1193)年、弥勒(みろく)菩薩の霊場だった笠置寺(京都府相楽郡笠置町)に隠遁(いんとん)。その弥勒信仰と結びついた笠置山は、山岳修験道の霊地として発展しました。また、貞慶は般若台院や木造十三重塔を創建するなど笠置寺を整備して、弥勒信仰をいっそう深めた僧でした。

 貞慶の墓は、笠置寺のほか、持聖院(奈良県三郷町)、海住山寺(京都府木津川市)にそれぞれ伝承されていますが、平成28(2016)年になって、持聖院境内の五輪塔内の蔵骨器が調査され、壺の中に残された人骨を分析した結果、その五輪塔が貞慶の分骨墓であったことがわかりました。

 笠置寺の五輪塔は、貞慶の廟塔(びょうとう)で、生前に供養塔として造立したのではないかと考えられています。高さ約40センチの八角形基壇の切石に囲まれています。その中央に落ち着いた見事な約2メートルの五輪塔があります。

 5つの輪が積み重なった塔形で、下から地輪・水輪・火輪・風輪・空輪と続く。地輪は低く、水輪は角張った丸みをもち、火輪の笠も高くはなく、風輪・空輪の宝珠がどっしりとしており、ゆったりした曲線を描いた鎌倉時代前期の様式を継承しています。四方には薬研(やげん)彫りで「キャ・カ・ラ・バ・ア」と大きく刻まれた梵字が鮮やかに見え、格調深い五輪塔です。   (地域歴史民俗考古研究所所長 辻尾榮市)

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