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【一聞百見】正岡子規と加藤拓川、2人の祖父を語り継ぐ 樹木医・正岡明さん(74)

正岡子規の関係系図
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■子規に導かれた造園の道

 正岡さんは、ピアニストや大手機械メーカー勤務を経て、樹木医と造園設計業の道に進んだ。一見、回り道をしたようだが、不思議なことに庭を通じて子規とつながった。「導かれていたよう」と語る。「子供の頃からピアノを習っていました。母はピアニストになりたくて、私に夢を託したようです」。しかし大学卒業後は大手機械メーカーに就職した。「大学卒業間際に父が脳出血で倒れたこともあり、親を安心させるための就職でした」

 暗黒時代が始まった。会社では精密機械の設計が仕事だったが、どうしても興味が持てなかった。結局、3年で退職。その後、大阪の造園会社の門をたたいた。「失業中に何をしようか喫茶店で考えていたら、仕事だった機械の『設計』と好きだった『植物』が結びついた。子供の頃から庭で草花を植えたり、野原で花を摘んで遊んだりしたのですが、好きな庭を設計することを思いついたんです」。7年間修業して昭和57年に独立、樹木医の資格も取得した。

 〈正岡さんは結婚を機に約30年前、兵庫県伊丹市から妻の実家のある奈良に拠点を移した。奈良は明治28年の子規の生涯最後の旅で訪れた地で、『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』などの多くの有名な句を詠んだことで知られる〉

 そして奈良で縁がつながった。子規が逗留(とうりゅう)した旅館「対山楼(たいざんろう)」跡で子規も見たであろう樹齢120年以上とみられる柿の古木が見つかり、同地にある日本料理店「天平倶楽部」が子規にちなんだ庭を造ることになったのだ。「子規の子孫にあいさつすることになったようで。そのとき庭造りをしていると告げると、庭園の設計をさせてもらうことになりました」

自ら設計した「子規の庭」を歩く正岡明さん =奈良市今小路町(南雲都撮影)
自ら設計した「子規の庭」を歩く正岡明さん =奈良市今小路町(南雲都撮影)
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 〈子規は随筆で『書斎及び庭園設計』と題して理想の書斎と庭園の計画案を書き残しており「秋の野草を植え、皆野生の有様にて咲き乱れたるを最上とする」などとしていた〉

 随筆の文と挿絵を参考にした庭造りに取り組んだ。東大寺を借景にしススキやハギ、フジバカマなど子規の好んだ草花を植え込み、野趣と自然を生かした「子規の庭」が平成18年秋に完成した。正岡さんはこう話す。「文学をやっているわけでもなく、回り道ばかりしてきたと思っていたら、導かれるように子規とつながった。人生には無駄なことはないとつくづく感じます」

(次ページ)西園寺公望や原敬、犬養毅…首相6人、そのほか政治家や軍人、著名人…

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