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来年の大河・明智光秀の「いい人伝説」

明智光秀の肖像画(本徳寺所蔵、大阪府岸和田市提供)
明智光秀の肖像画(本徳寺所蔵、大阪府岸和田市提供)
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 来年のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の主人公となった戦国武将・明智光秀。織田信長に仕えるまでの前半生は確かな史料がほとんどなく謎に包まれている。だが近年、10年ほどの間、越前国(今の福井県)に身を寄せていたことが分かってきた。もともと福井では各地に光秀の伝承が残っているが、そこでは主君の信長を討った「逆臣」と異なる姿が浮かび上がっている。

「本当にいた史料」

 通説では、光秀は信長に仕え始めた永禄11(1568)年の時点で40歳くらいだった。だが、それ以前のことを記した史料はほとんどなく、生年もはっきりしない。

 福井との関わりでは、江戸時代中期の「明智軍記」などで福井に身を寄せたとの記述があるが、軍記物は虚実ないまぜで書かれているため証拠たり得ない。また、各地には伝承が残っているが軍記物の影響を排除できない。そのため、光秀が福井にいたかどうかは疑問視されてきた。

 だが最新の研究で、時宗総本山遊行(ゆぎょう)寺(神奈川県藤沢市)の住職、同念上人が関西などを巡った際の記録「遊行三十一祖(ゆぎょうさんじゅういちそ)京畿御修行記(けいきごしゅぎょうき)」に光秀に関する記述が見つかり、風向きが変わった。

 天正8(1580)年に光秀の居城だった坂本城(大津市)に使いを送ったくだりで《光秀は美濃国(今の岐阜県)の土岐一族出身の浪人だったが、越前国大名の朝倉義景を頼り、称念寺の門前で10年居住した》という内容を記している。

 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館(福井市)の石川美咲学芸員は「同時代の人による回顧で、10年ほどの間、光秀が本当に福井にいたことを明らかにする史料だ」と強調する。

芭蕉の句にも詠まれ

 この史料の発見により、福井の各地に残る伝承も真実味を帯びてきた。

 光秀が門前で暮らしたという称念寺(福井県坂井市)には、光秀が貧しかったころの逸話が伝わる。

 《連歌会を開く費用に困った光秀。それを助けようと妻の煕子(ひろこ)が黒髪を切って売り、費用を工面した》

 江戸時代の俳人、松尾芭蕉(ばしょう)は、「奥の細道」の旅路で知ったのか、この話に感銘を受けている。

 「月さびよ 明智が妻の 咄(はな)しせむ」

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