PR

ニュース プレミアム

【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】(62)人生100年時代の「死に方」

2016年9月、パラリンピック・リオデジャネイロ大会に出場したマリーケ・フェルフールトさん(共同)
2016年9月、パラリンピック・リオデジャネイロ大会に出場したマリーケ・フェルフールトさん(共同)

「苦しみながら死にたくない」

 安楽死-。10月22日、自宅で医師に注射を打たれて40歳で世を去ったベルギーの車いす陸上選手、マリーケ・フェルフールトさんが残した言葉をめぐりあれこれ考えている。

 「(安楽死を申請したことで)自分の人生は自分で決められると思えるようになり、心が安らいだ」

 「私はもう死を恐れない。眠りについて、二度と目を覚まさない。私にとってそれは安らぎに満ちている。苦しみながら死にたくない」

 「すべての国が安楽死法を制定すれば自殺者は減ると思う。これは殺人ではなく、もっと生きてもらうための措置」

 フェルフールトさんは、14歳のときに、現代医学では不治といわれる進行性の脊椎変性疾患を発症し下半身不随となった。彼女は激痛を伴う難病と闘いながら、パラリンピックの車いす陸上の選手としてロンドンで金と銀、リオデジャネイロで銀と銅のメダルを獲得した。その裏では2008年、将来的に医師が生命に終止符を打つことを認める書類にサインし、16年からは安楽死承認書類を常に携帯していたという。

 昨年講談社ノンフィクション賞を受賞した宮下洋一さんの『安楽死を遂げるまで』(小学館)によれば、ベルギーで安楽死が容認されたのは2002年。刑法を改正することなく、一定要件を満たして実施した医師は殺人罪に問わないという解釈を定めた。実施のルールは次の通り。不治の病で、耐え難い痛みがあり、患者が自発的に死を望んでいるか、などを主治医が確認し、そのうえで、患者や主治医と関わりを持たず、かつ患者が苦しむ病に精通する医師に、安楽死が妥当かどうかの判断を委ねる。安楽死を管理する評価連邦委員会に報告された件数は増加の一途で、02年の24件が15年には2022件に達した。

 ベルギーの首都ブリュッセルに暮らす画家、稲垣しげみさんに、一般市民がフェルフールトさんの安楽死をどう受け止めているか尋ねてみた。稲垣さんによれば、人種のるつぼで宗教色の薄いブリュッセルでは、安楽死を認める人が多数派であり、彼女自身も、激痛に苦しんだフェルフールトさんが自宅で自分の人生に終止符を打ったことにホッとしたと語る。彼女の親しい友人の友人(ベルギー人)も、75歳で突然筋無力症のような病に陥り、まばたきがやっとという状況のなかで安楽死を決断し、昨年亡くなったという。

 前半生はストア派の影響を色濃く受け、カトリック教徒でありながら無神論に傾斜していたモンテーニュは、第2巻第3章「ケア島の習慣」にこう書く。

 《最も自ら欲した死こそ、最も美しい死である。生は他者の意志による。死は我々自身の意志による。他のいかなる場合においてよりも、死に臨んでこそ、最も我々自らの意志に従わねばならない。…もし我々に死の自由がないのならば、生きるということはむしろ屈従である》

 《堪え難い苦痛とあさましい死とは、自殺への誘いとして最もゆるされるべきものであるように私には思われる》

 フェルフールトさんの言葉と見事に響き合う。こうした数百年にわたる思索の伝統のもとで、宗教的桎梏(しっこく)の緩いオランダ、ベルギー、ルクセンブルクにおいて安楽死を容認したのだろう。

 ただ、それまでタブーだったものがいったん容認されれば、それはどんどん拡大解釈されてゆく。本紙パリ支局長で『安楽死のできる国』(新潮新書)の著者でもある三井美奈記者は、《2002年に世界初の安楽死法を制定したオランダが、「死なせてよい生命」の範囲をめぐって揺れている。安楽死の広がりで、認知症の高齢者や精神障害者、「人生はもう無意味」と考える人まで死の権利を主張するようになり、国内で「行き過ぎ」という懸念も高まる》とオランダの状況を報告している。

死は個人だけのものでない

 ところで、モンテーニュやフェルフールトさんの言葉には、日本人である私にはなじめない何かがある。何かとは何か? あえて表現するなら、先鋭化した個人主義である。

 宮下洋一さんも『安楽死を遂げるまで』の中で、欧米の安楽死の思想に共感しながらも、どこか違和感を覚えると書いている。それが何かは、日本の「安楽死殺人事件」の当事者への取材でおぼろげながらも明らかになる。東海大学医学部付属病院、国保京北病院、川崎協同病院で起きた事件である。いずれの事件も、日本で安楽死容認をめぐる議論を封じ込める役割を果すことになった。

 ここでは国保京北病院の事例だけ紹介しよう。

 すさまじい痙攣(けいれん)に襲われる末期がん患者。取り囲む家族が絶叫する中で、院長だった山中祥弘医師は、筋弛緩(きんしかん)剤を点滴の中に投与して患者を死亡させた。取材に応じた山中医師は「地域医療というのは、僕にとって家族医療」と述べ、「死は、個人の自由という考えがあるのは分かります。だけど、個人だけのものではない。家族のものでもあります」と持論を語る。

 妻の「あんたもう十分頑張ったじゃないの。もう頑張らんでええんよ!」という叫びを聞いた山中医師は、死を早めてやりたいと考えた。「(妻の絶叫に)僕の心が動揺しました。それで三人称の死から、二人称の死になったのです」と山中医師は振り返る。宮下さんは「山中自らも医師でなく、家族の領域に入った」と理解する。

 人間が個として立たざるをえない欧米に対して、個と家族の根っこが溶けて結びついている日本。どちらがいい悪いではない。モンテーニュとフェルフールトさんの言葉に私が感じたなじめない何かとは、個人と家族の関係性から生じるものだと思う。

 私自身は安楽死を自分の最期の選択肢に加えたいと考えている。だが、病気に苦しむ妻や子供が安楽死を希望したら、「人間の気分は絶えず変化するもの。明日快晴だったら、気分が変わるかもしれない。それに新薬や新技術の登場できっと痛みは軽減できるはず」などと、言葉を尽くして反対するに違いない。

 人生100年時代-。こんな時代だからこそ、死に方について、個人、家族、学校、国家レベルで真剣に考え始めるべきだろう。

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)によった。   (文化部 桑原聡)=隔週掲載

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ