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【一聞百見】鉄道マン…滋賀県知事、三日月大造さん「使命は続くよ、いつまでも」

三日月大造さんがJR運転士だった頃の手作りの運転メモ。速度調整や制限速度などが書き込まれている
三日月大造さんがJR運転士だった頃の手作りの運転メモ。速度調整や制限速度などが書き込まれている
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■ローカル線、みんなで乗って残そう

 山口県の岩国駅勤務を経て、適性検査や訓練をクリアし、広島運転所の電車運転士に「転身」したのは平成8年。乗務区間は中国地区の山陽線、呉線、可部線。「親方」と呼ぶ先輩に師事し、技術を磨いた。とくに運転に気を使った区間があった。貨物列車が通る際、最後尾に連結された別の機関車が後押ししないとのぼれないほどの勾配がある難所。関係者は「セノハチ(広島県の瀬野-八本松間)」と呼んでいる。電車の場合、下りでのブレーキのかけ具合が難しい。「『親方』を見習って、あの屋根が見えたらブレーキをかけるとか、いろいろ工夫しました。天気や乗客の数、形式が同じでも車両によってもブレーキのタイミングが違うので、経験や応用が必要でした」

 現在でも大切に持っているメモがある。それは手作りの運転マニュアルだ。速度やカーブ、勾配の具合など、気づいたこと、教えられたことを綿密に書き込み、運転に役立てた。「親方」は厳しく指導してくれた。「あるとき、運転席から軽い気持ちで飛び降りたら、怒られました。けがをしたら誰が運転するのか。階段も手すりを持て」と教えられた。まさに職人肌。しかし、配属されたばかりのころ、「親方」をはじめ、先輩たちとは溝があったという。運転士の詰め所で忘れられない出来事があった。

 「お茶があったので『いただきます』と飲もうとすると、だめだと。『それは俺らのお茶や』と言われました。そのお茶は、私が入っていたのとは違う組合が購入したものだったからです。そのほか、組合が違えば、全く会話をしないというのも普通でした」。当時、広島運転所は、三日月さんが所属していたJR西日本で多数派の組合の運転士は少なく、それ以外の組合の運転士が大多数だった。将来的に労務管理をやりたいと思っていたため、経験のために広島運転所の配属を希望したのだが、最初の1週間で後悔したという。

 「これではいけないと、積極的に先輩たちの不満を聞いたり、いろいろ教えてもらったりするうちに、先輩も『せっかく若いのが来たのだから』と言ってくれて、仲良くなりました」。その後、組合専従となり、14年に松下政経塾に身を投じる。組合活動で培った意識が政治家になるという思いを強くしていった。

JR勤務時代、三日月大造さんが乗務員養成所を修了した際の記念のメダル
JR勤務時代、三日月大造さんが乗務員養成所を修了した際の記念のメダル
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 国会議員時代は国土交通副大臣などを歴任。知事になって現在2期目だが、滋賀県内では利用者の減少などにより、経営が困難となっている地域鉄道の存続問題が持ち上がっている。「行政だけで考えるのではなく、住民の皆さんや沿線事業所と合意を形成した上で、みんなで乗って残そう、盛り上げようという活動に、いかにつなげるかが大事だと思います」。JR西の社員として、鉄道の持つ社会的使命、公共的な役割を知った。国会議員として、鉄道をどう活性化させるかという法律の制定に関わった。そして知事として、政治家への道を開いてくれた鉄道の課題に、真正面から取り組んでいく。

     ◇

【プロフィル】三日月大造(みかづき・たいぞう) 昭和46年生まれ、滋賀県出身。県立膳所高、一橋大を経て平成6年、JR西日本入社。駅員、運転士、営業などの業務に就いた後、JR西労組中央本部青年女性委員長などを歴任し、14年に松下政経塾入塾。15年、衆院選に初当選。国土交通副大臣などを務めた。4期目途中の26年、滋賀県知事に就任し、現在2期目。

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