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【一聞百見】鉄道マン…滋賀県知事、三日月大造さん「使命は続くよ、いつまでも」

JR西日本に勤務していたころのネームプレートなど、三日月大造さん思い出の品(永田直也撮影)
JR西日本に勤務していたころのネームプレートなど、三日月大造さん思い出の品(永田直也撮影)
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■「人のため仕事」の思い強く

 子供のころから、とくに鉄道に興味があったわけではない。大学卒業後の平成6年、JR西日本に入ったのは恩師の勧めがあったからだ。「就職のとき、ゼミの先生から『君の名前と顔は政治家向き。鉄道会社に入って、駅長になって立候補したらいい』と言われました。(元首相の)佐藤栄作先生もそうだったらしいですね。それで政治家になることを意識しました」。すでに入社が決まっていた会社に断りを入れ、故郷の滋賀をエリアに持つJR西へ。初任地は広島支社を希望した。同期たちは京阪神を希望していたが、いずれはそこに戻るのであれば、違う環境で仕事をしてみたかったからだ。

 配属は山口県の岩国駅。自動改札が導入される前だったので、改札口にも立った。「岩国駅では久しぶりの新入社員の配属だったらしくて、駅売店のおばちゃんにも随分かわいがってもらいました。広島の滋賀県人会の方ともつながりができました。(広島で開かれる)都道府県対抗男子駅伝でいっしょに滋賀を応援したこともありました」

 一生懸命に仕事と向き合い、人との出会いにも恵まれた1年生社員が「あの日」を迎える。7年1月17日午前5時46分に発生した阪神大震災。泊まり明けの早朝、指定券を発券するシステムを立ち上げようとしたときだった。「ゆらゆらと揺れて『地震かな。えらい長いこと揺れるな』と言ったのを覚えています」。その直後から社内の緊急放送では「京阪神地区で大地震。相当な被害が出ているもよう」といった深刻な状況が伝えられた。テレビで惨状を目の当たりにするにつれ、現地に行きたいという思いがわき出てきた。

 「すぐに岩国駅長に京阪神地区への応援を志願しました。ただ、駅長からは態勢が整っていないので待てと言われました。せっかく入った会社が潰れてしまうという思いもありました」。現地から要請があり、神戸市の新長田駅などに応援に行くようになったのは2月中旬ごろ。朝一番の新幹線で姫路に向かい、そこから在来線に乗り換える通い勤務で、午前10時ごろから、24時間の泊まり勤務に入る。「神戸に行って泊まって帰って1日休む」の繰り返しというハードな仕事は1カ月半ほど続いた。「新長田の駅前は戦争の後のよう。仮駅舎には、阪神間の大学に通われていた息子さんを荼毘(だび)に付して東北に連れて帰るという人もいました。逆に電気やガスの復旧を応援するために被災地に入ってこられる人もいました」

鉄道マンから政治家に転身。今でも「指さし確認をしてしまう」と笑う三日月さん =大津市の滋賀県公館(永田直也撮影)
鉄道マンから政治家に転身。今でも「指さし確認をしてしまう」と笑う三日月さん =大津市の滋賀県公館(永田直也撮影)
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 人々の悲しみや希望を運ぶ鉄道。それを守ることが鉄道マンの使命であることを実感するとともに、多くの人たちのために仕事をすることのやりがいに気づいたときでもあった。鉄道を利用する人たちのためから、現在は知事として県民のために。根底に流れる思いは同じだ。

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