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人種超えた南アラグビーの原点 レジェンドが語った1995年W杯

自身がラグビーを始めるきっかけとなった1995年W杯を振り返るハバナさん=10月29日、都内
自身がラグビーを始めるきっかけとなった1995年W杯を振り返るハバナさん=10月29日、都内
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 スポーツには国を一つにする力がある。ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会で3度目の優勝を果たした南アフリカの歴史が、それを物語っている。南アフリカがW杯に初出場し、優勝を飾った1995年大会で決勝のピッチに立った敵チームの主将と、観客席から見守った“未来の代表選手”が、10月29日に行われたローレウス・スポーツ財団のイベントで大会を振り返った。(運動部 久保まりな)

 「ネルソン!ネルソン!」

 1995年6月24日、南アフリカ・ヨハネスバーグのエリス・パーク。南アが延長にもつれたニュージーランド(NZ)との激闘を15-12で制した後、南アのジャージーを着てスタジアムに現れた初の黒人大統領、マンデラ・ネルソン氏を大歓声が包んだ。白人と黒人の対立を超え、一体感が生まれた瞬間だった。この場面を、当時のNZ主将、ショーン・フィッツパトリックさん(56)は鮮明に覚えている。

 「負けてしまい、心に痛みが残った。ただ、試合後にバスから見た光景は今でも忘れない」とフィッツパトリックさん。ホテルに向かう途中、目に飛び込んできたのは、さまざまな人種の人たちが手をつなぎ、踊り、南アフリカの勝利を祝福する姿だったという。「スポーツがすべての人を一つにするのだと感じた」と頬を緩める。

 一方、当時12歳の“少年”は、観客席から試合を観戦していた。後に南ア代表になる黒人のブライアン・ハバナさん(36)だ。当時はまだラグビーをやっていなかった。「勝利の瞬間、(私たちに)インスピレーションを与えた。スポーツの力はすごい。みな平等だと思った」。このときにラグビー選手になることを決め、その後、快足WTBに成長。南アが2度目の優勝を遂げた2007年大会では8トライを挙げ、当時の1大会最多記録に並んだ。

 南アのラグビーはかつて、白人のスポーツだった。アパルトヘイトの制裁で国際試合を行うことができず、87年、91年大会は出場できなかった。制裁が解除され、初めて出場したのが自国で開催された95年大会。非白人選手は1人だった。その大会での栄冠が南アラグビーの歴史を動かした。

 今大会、チームには10人を超える非白人選手がいて、黒人初の主将としてコリシがチームをまとめた。そしてつかんだ史上最多タイとなる3度目の優勝。「異なるバックグラウンド、人種が集まり、目標に向かって団結できた」とのコリシ主将の言葉に、実感がこもった。

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