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【外交安保取材】北方領土が近づいた好機、生かせなかった日本

北海道・根室半島の納沙布岬(左下)沖に広がる北方領土。歯舞群島(中央)、色丹島(右上)、国後島(左奥)。はるか右奥にうっすらと択捉島が見える=1月
北海道・根室半島の納沙布岬(左下)沖に広がる北方領土。歯舞群島(中央)、色丹島(右上)、国後島(左奥)。はるか右奥にうっすらと択捉島が見える=1月

 安倍晋三首相はロシアのプーチン大統領と通算27回の会談を重ねているが、ロシア側に北方領土問題で譲る気配は見えない。旧ソ連時代を含め、70年以上も北方四島を実効支配しているロシアは、一貫して強硬姿勢をとり続けてきたようにも思えるが、実は過去に少なくとも2度、柔軟な構えを見せたことがある。この好機を生かせなかった日本は、どんな教訓を学ぶべきか。

 北方領土交渉を振り返ると、1956(昭和31)年に鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相が日ソ共同宣言に署名してほどなく、膠着状態に陥ったことがわかる。

 共同宣言には、平和条約締結後の歯舞(はぼまい)群島と色丹(しこたん)島の引き渡しが明記されているが、1960(同35)年に日米安全保障条約が改定されると、ソ連は日本国内に米軍基地が置かれ続けることに反発。「日本領土からの全外国軍隊の撤退及びソ日間平和条約の調印を条件としてのみ、歯舞及び色丹が(中略)日本に引き渡される」との対日覚書を出した。

 日ソ共同宣言の署名以前から米軍が駐留していたことを考えれば言いがかりに過ぎないが、ソ連側はその後、「領土問題は存在しない」と態度を硬化させ、日本側も交渉の糸口をつかめないまま「四島即時一括返還」を求め続けた。

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