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【石仏は語る】鵜川48体石仏 琵琶湖を望む山道に坐し 滋賀県高島市鵜川

鵜川48体石仏の周辺地図 =滋賀県高島市鵜川
鵜川48体石仏の周辺地図 =滋賀県高島市鵜川

 琵琶湖の西側に沿って明神山が迫り出す明神崎を、近江の国道が通り、湖面に朱塗りの鳥居が見えてきます。比良明神とも言われ、社伝では第11代垂仁(すいにん)天皇の時に創建され、猿田彦命を勧請したという白鬚(しらひげ)神社があり、ここからわずかに山道を入ると、鵜川(うかわ)石仏群があります。

 この地域には、六角義賢という戦国時代から安土桃山時代にかけての武将がおり、観音寺城主でした。弘治3(1557)年に長子義弼(よしすけ)(義治)に家督を譲り入道し、承禎(じょうてい)と号しました。のちに織田信長によって観音寺城が落とされる永禄11(1568)年のいわゆる永禄崩れまで領国を支配し続けた近江国の守護大名でした。

 これらの石仏群は、その六角承禎が天文22(1553)年に亡母の追善供養のために造立したといいます。それらは傾斜地に東面して8列に露坐し、並んでいます。

 石仏はすべて阿弥陀如来坐像で、花崗(かこう)岩で製作され、全高約160センチの大きな丸彫りです。全体的に浅い彫り方で、衲衣(のうえ)(僧衣)の紋は平面的な彫出、いずれも円満なお顔立ちであり、手は定印(じょういん)を結び、造立した年代と符合します。33体が現存しており、内13体は大津市坂本の慈眼大師廟の傍に移されて、2体は盗難にあいました。もとは草堂もあったといいます。

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