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【関西の坂】(5)なぜ大阪に「名無し坂」は多いのか 辻本伊織氏

 坂道愛好度の高い東京に比べて、大阪を含む関西は坂道という自然景観・観光資源に無頓着-。こんな憂いから大阪の坂道研究に打ち込む在野の研究家、辻本伊織さん(73)。名無し坂に名前を付ける取り組みも行っており、これまでの研究成果について寄稿してもらった。

     ◇

 水の都・八百八橋(はっぴゃくやばし)とうたわれる大阪でありながら、川も橋もない大阪市阿倍野区で私は育った。周りにある自然景観といえば数多(あまた)の坂道であった。幼少の記憶は小学校そばの聖天坂(しょうてんさか)とともに刻まれている。それほど近しい存在であった坂道が、大阪ではあまり大事にされていないと気付いたのは夏目漱石や永井荷風などが描く東京風景を意識したときである。東京の坂道は彼らの作品において実に効果的な役割を果たしている。

 試みにネット通販のアマゾンで「東京の坂」と検索してみてほしい。ざっと二十数冊の坂道に関する本がヒットする。では大阪をはじめとする関西諸都市、あるいは坂の町として周知の函館・小樽・尾道・長崎はどうか。検索の結果は微々たるものでしかない。一般に東京は坂の町として認識されていないのに、この差は何なのか。

偏愛のルーツは目印

 東京人が坂道を偏愛するようになった理由とは何か。この疑問に独断的私見を述べれば、徳川家康が駿河・遠江・三河の家臣団を連れて江戸を開府した。それに続き多くの商人や職人が呼び寄せられる。町人は粋な辰巳芸者の深川も日本橋の魚河岸も佃島の漁師も元はみな上方からの流入者である。武士には参勤交代があるし、江戸詰の役もある。椋鳥(むくどり)と称される下働きの奉公人も季節ごとに地方からやってくる。

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