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大家さんへの「届かない手紙」 人気漫画“完結編”で矢部太郎さん

漫画「大家さんと僕 これから」の作者で芸人の矢部太郎さん(三尾郁恵撮影)
漫画「大家さんと僕 これから」の作者で芸人の矢部太郎さん(三尾郁恵撮影)

 お笑い芸人の矢部太郎さん(42)が、人気漫画「大家さんと僕」の続編を刊行した。タイトルは「大家さんと僕 これから」(新潮社)。「この本は大家さんへの感謝の気持ちを込めた、届かない“手紙”。全てを描き切ったと思います」。昨年急逝した大家さんへの感謝と過ごした日々の思い出、そしてこれからのことが、温かな絵柄で描かれている。  (文化部 本間英士)

100万部超の大ヒット

 東京都新宿区にある一軒家。矢部さんはその2階に引っ越してきた。1階に住む大家さんは上品な高齢女性で、あいさつは「ごきげんよう」。約8年にわたり同居し、交流を深めていった。

 「僕は大家さんから、日々の暮らしなど多くのことを教えてもらいました。それは明らかに、大家さんと店子(たなこ、借り手)を超えた関係でした」

 一緒にお茶をしたり、大家さんの好きな百貨店「伊勢丹」に通ったり、恋バナをしたり…。大家さんとの何気ない日々をつづった漫画「大家さんと僕」を平成29年に刊行。続編を含め、シリーズ累計で100万部の大ヒットを記録した。

 本書では、大家さんとランチに行ったときの話や、節分の豆まきをはじめ季節ごとのイベント、入院時のエピソードなどを収録。戦争関連の思い出話も多い。

 「『テレビの戦争特番があるから8月が好き』という大家さんから聞く戦争の話はよく覚えています。(昭和20年3月の)東京大空襲、学童疎開先での出来事、終戦の日…。大家さんからは『(戦争のことを)忘れないで』と言われましたし、僕も描かないといけないと思っています」

「お父さんと僕」も?

 父は絵本作家のやべみつのりさん。幼い頃から、父が絵を描く風景を間近で見てきた。自分でも、身近な出来事を絵や新聞にしていたという。「最近父が、『お父さんと僕』って漫画を描いたらいいんじゃないか、と言ってます」

 もともと漫画を描き始めたきっかけも、大家さんだった。お笑いのトークでよく「大家さんネタ」を披露していたが、エピソードが多く、とても話しきれない。そんなとき、親交のある漫画原作者の倉科遼さんから「漫画を描いてみたらどうか。出版社が見つからなかったら、自費出版で僕が出す」と執筆を勧められた。

 「確かに、漫画が一番大家さんのかわいらしさやユーモアを再現できる。何より、大家さんに読んでもらえる」。38歳で、遅咲きのデビューを果たした。

 昨年には「週刊新潮」での連載が始まったが、その最中に大家さんが亡くなった。「(本書の)後半は、描くのもきつかった」と振り返る。「この漫画は(作中で)時間が流れるので、つらいことも描かなくてはいけなくなった。ユートピアの世界みたいに、もっと違うふうに描いていれば違ったかもしれませんが…」

 今後、大家さんの漫画の続きを描くつもりはない。だが、漫画はこれからも描き続けたいという。

 「この本は、大家さんへの感謝の気持ちを込めた“手紙”です。いや、届かないから、“祈り”というか…。何というか、すみません…。ちょっと何て言えばいいか分からなくて…」

 「口下手」を自称するだけあって、話もしばしば途切れがちに。だが、自分の思いを伝えるためにじっと考え、言葉を選ぶ誠実な姿が印象的だった。

乗り越えていきたい

 漫画家として才能が開花する一方、本業のお笑いは思わぬアクシデントに見舞われた。

 高校時代の同級生で、お笑いコンビ「カラテカ」の相方である入江慎也さんが反社会的勢力の会合に芸人を仲介したとして、6月に所属先の吉本興業から契約を解消された。

 矢部さんは同月、ツイッターで「ご迷惑、ご心配をおかけし本当に申し訳ありません」などと謝罪。「今後も僕はカラテカの矢部太郎として活動させて頂きます」とつづった。

 今回の取材でも、矢部さんは複雑な胸中をこう話した。

 「(一連の問題について)こうなるとは僕は思っていませんでした。実は、入江君との高校時代の出会いからの話も、漫画に描いています。描き続けたいという思いもあります。複雑な、いろいろな思いがありますが、乗り越えていきたいな、と思います」

やべ・たろう 昭和52年、東京都生まれ。平成9年、「カラテカ」を結成。「進ぬ!電波少年」などのバラエティーに出演し、俳優として舞台や映画にも出演。29年に刊行した初漫画「大家さんと僕」で手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。現在の体重は約40キロ。

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