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「上を向いて歩こう」は茨城弁だった 日航機墜落から34年 坂本九さんの「郷土愛」

 事故の発生当日、塙さんは日航機が操縦不能となった直後にマスコミからの問い合わせで坂本さんが搭乗している可能性があることを知ったという。「あの日は道路が混雑し、九ちゃんが羽田に到着したのは飛行機の出発間際だったそう。もしかしたら乗れなかったのでは、とわずかな希望を持っていた」とするが、その願いはかなわなかった。

 遺体の身元判明の決め手となったのは、「笠間稲荷」と掘られたアクセサリーだった。これは神社が作製したものではなく、坂本さんが米国で買ってきた製品に塙さんの了解を得て、加工を施したものだったという。

 亡くなる前は自分で手話を使いながら歌を披露する活動にも熱心に取り組み、「体の不自由な人も含めてみんなが楽しめる歌を歌わなければダメだ」と熱く語っていたという坂本さん。家族と神社へ参拝のたびに笠間市内の窯元を訪れ、自分で手ひねりの焼き物を作るのを楽しみにしていた。

 「九ちゃんと笠間の人々との心のつながりはずっと途切れることはないはず」と塙さんは信じている。(水戸支局 三浦馨)

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