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【大人の遠足】長野・上松 赤沢自然休養林 ヒノキの香りに気持ち晴れやか

森林鉄道は、ヒノキなどが広がる樹林を巡る。すがすがしい心持ちにしてくれること請け合いだ=長野県上松町(松本浩史撮影)
森林鉄道は、ヒノキなどが広がる樹林を巡る。すがすがしい心持ちにしてくれること請け合いだ=長野県上松町(松本浩史撮影)
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 森林鉄道記念館前のホームに停車している車両の一つに乗り込むと、ほどなくして牽引(けんいん)車のディーゼル機関車から出発進行の警笛が聞こえた。ガタンゴトンと揺れる振動が体に伝わり、頬を風がなで始めた。とても心地よい。

 樹林に吸い込まれるように車両が入っていった。30から40メートルはあろうかと思われるヒノキが両側にまっすぐに伸びて林立している。木の間からは小川が流れているのを見て取れる。遊歩道を歩いている観光客が手を振ってくれている。

 この鉄道は、終点の丸山渡(まるやまど)停車場まで片道約1キロの軌道を往復していて、かつて木材を運ぶために実際に使われていた。客車が載ったトロッコや連結部は当時のものだ。廃線後の昭和62年、観光用としてこの樹林を再び走るようになった。

無断伐採は死罪

 一帯には主に針葉樹が広がり、その面積は728ヘクタールに及ぶ。ヒノキのほかにも、サワラやネズコ、アスナロ、コウヤマキがあり、「木曽五木」と評される。用途には向き不向きがあって、ヒノキは建築材であり、サワラが水気に強いというので、おけなどの材料になったりする。

 戦国時代にはこの樹林を領地にしようと武田信玄や織田信長、豊臣秀吉が触手を伸ばした。徳川家康が天下を治めるようになり、江戸の城下町の整備などにヒノキがいいように伐採されるようになると、尾張藩が厳しい管理に乗り出す。「皆伐(かいばつ)」なる言葉があったほどだ。

 こうした歴史を教えてくれた長野県上松町観光協会の見浦崇事務局長は「木曽のヒノキは、成長が遅いんです。他の生産地のヒノキと比べたとき、同じ太さでも年輪が密になっている。つまり強度がある」とのこと。それほどの材質なのである。尾張藩は「木一本、首一つ」というお触れまで出した。無断で伐採したときは死罪に処する、というわけだ。

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