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ノーベル賞に“最も近い”日本人 越境作家、多和田葉子さんが紡ぐ多様な世界

連作集「百年の散歩」について、本紙のインタビューに答える多和田葉子さん(桐原正道撮影)=平成29年
連作集「百年の散歩」について、本紙のインタビューに答える多和田葉子さん(桐原正道撮影)=平成29年

 東京五輪・パラリンピックの開幕が迫っている。スポーツの感動に国境など関係ないように、文学の世界でも言語や文化、宗教といった壁を超えて読者の心を揺らす作品が日々紡がれている。そんな現代の世界文学の魅力をシリーズ「文学五輪」と題して届けていきたい。初回は日本語とドイツ語で創作するドイツ・ベルリン在住の多和田葉子さん(59)。ノーベル文学賞に最も近い日本人の一人、との評価もあるバイリンガル作家だ。  (文化部 海老沢類)

日独両言語で

 多和田さんは早稲田大卒業後の1982(昭和57)年、ドイツ・ハンブルクに移住。日本よりも先にドイツで作家活動を始めた異色の経歴を持つ。三十数年にわたり日独両言語で前衛的な小説や詩などを書き、日本の著名な文学賞を軒並み受賞。ドイツで権威のあるクライスト賞を日本人で初めて受けている。日独の往復だけでなく、朗読会などで世界を忙しく飛び回る“旅する作家”だ。

 「海外にいると常に国の『境』を意識します。パスポートの審査を通るときはすごい緊張感。その瞬間にぎゅっと小説の題材を考えることが多いですね」

 自らそう語る通り、「移動」とそれに伴う国や言語の「越境」が、多和田文学の大きなテーマとなっている。日本でのデビュー作「かかとを失くして」(平成3年)は「書類結婚」するために、夫がいる遠い異国に来た主人公の戸惑いが伝わる幻想譚。『雪の練習生』(23年)では、3代にわたるホッキョクグマの物語に、冷戦期からの激動の世界史を重ねた。

 「とても現代的ですよね」と話すのは東京大の沼野充義教授(ロシア・ポーランド文学)だ。「20世紀の亡命作家は大抵、政治的な事情でやむを得ず国を出た。多和田さんの場合は国や言語の枠を超えるチャレンジのために自ら選びとった文学的方法としての“亡命”。一つの言語や文化圏に縛られない形でどんな創作ができるのか-。その試みの中で日本語の新しい可能性を引き出している」

言葉遊びも

 日本の外で暮らすことで見えてくる現実もある。昨年、米国で最も権威がある文学賞の一つ、全米図書賞の翻訳文学部門を受賞した『献灯使(けんとうし)』は、大災厄の後に鎖国状態となった近未来の日本を描くディストピア(反理想郷)小説。「(インターネットが発達した)グローバル社会でも言語による情報の壁は依然ある。それを操作する人がいたら鎖国状態にもなりかねない」という問題意識が設定に流れている。

 最新長編『地球にちりばめられて』(30年)の主人公は、海外留学中に故郷の列島が消えてしまったという女性。彼女が旅先で出合うのは、本来の意味とはかけ離れた形で使われている、失われた母国の言葉の欠片(かけら)。そんな現実を面白がって受けいれていく彼女の陽気さに、多言語作家の抱く希望がにじむ。多和田さんはインタビューで語っていた。

 「『これこそ日本!』という凝り固まったものじゃなく、コピーや偽物やイメージの断片となって文化も言葉も世界にちりばめられていく。でもそうやって切られ、粉々になることで断面はぱっと光る。痛みと美しさは切り離せない気がするんです」

 重い題材に、軽さとユーモアを添える「言葉遊び」も盛りだくさん。『献灯使』ではインターネットがなくなった祝日を〈御婦裸淫(オフライン)の日〉と名付けた。「母語の外に出る」という意味の題名を冠したエッセー集『エクソフォニー』(15年)に〈言葉遊びこそ、追い詰められた者、迫害された者が積極的につかむ表現の可能性なのだ〉と書いている。

 幻想的な作品の中でも、多和田さんは移民や人権といった社会の現実問題を直視する。そして、コスモポリタニズム(世界市民主義)の理想も忘れない。国籍も性別も文化的背景も違う多様な人々が集う世界の存続を願うようにして。

 谷崎潤一郎賞を受けた『容疑者の夜行列車』(14年)の終盤では、列車で同じ客室に乗り合わせた人々がにぎやかにおしゃべりする。そこにこんな一節がある。〈誰も降りる必要なんかないんです。みんな、ここにいながら、ここにいないまま、それぞれ、ばらばらに走っていくんです〉

 たわだ・ようこ 昭和35年、東京生まれ。早稲田大第一文学部卒業後、ドイツに移住し、日独両言語で創作を始める。平成3年に「かかとを失くして」で群像新人文学賞。5年に「犬婿入り」で芥川賞。15年に『容疑者の夜行列車』で谷崎潤一郎賞。23年に『雪の練習生』で野間文芸賞。全米図書賞(翻訳文学部門)、独クライスト賞など海外の文学賞受賞も多数。

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