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【日本語メモ】時代の転換期と国の「核心」

 元首(げんしゅ)--国の首長を示す言葉。国際法では対外的に一国を代表する機関であり、君主国では君主、民主(共和)国では大統領などが当たる。大日本帝国憲法(明治憲法)では第4条で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と規定。天皇が国家元首であることを明確に示している。現代の立憲民主主義の国では、国家の意思形成は複雑な方法でなされ、国の対外的関係もさまざまな機関の活動を通じて形成・維持されており、憲法学説では元首という概念は不要との見解もある。日本国憲法は元首について明確な規定はない。

 金沢城(金沢市)の北東、浅野川沿いの「東山ひがし」地区は江戸後期から明治初期に造られた茶屋建築がまとまって残る国の重要伝統的建造物群保存地区だ。大勢の観光客が訪れる「ひがし茶屋街」にほど近い表具師の家に清水澄は生まれた。父の吉三郎が屋号を「愛羊堂」とし、城下の森下町に開業したのは江戸末期の弘化元(1845)年。掛け軸や額の製作、ふすまや屏風などを仕立てる職人の技は藩政時代の文化を反映し、今日「どっしりと渋い仕上がり」が特長の金沢表具に受け継がれているという。

 清水の誕生は、慶応4(1868)年8月。この2カ月あまりのち元号は「明治」と改められる。新時代の進むべき道を天皇自らが天地神明に誓った「五箇条の御誓文」が、のちの清水に影響を与えた。「『五箇条の御誓文』を読む」の著者で金沢工業大学教授の川田敬一さん(近現代皇室制度史)は「明治憲法を高く評価していた清水にとって、御誓文の条文は憲法の精神につながると考えていた」と話す。

 京都御所で明治天皇が御誓文を誓ったのは慶応4年3月14日である。明治維新による時代の転換期に清水が生を受けたことは、その後昭和の敗戦まで憲法学者として歩んだ生涯を考える上で興味深い。

 「日本国憲法が施行されて70年となった2年前(平成29年)は清水博士が亡くなられて70年だった。憲法改正の議論が活発になった年でもあり、憲法や天皇について博士の考え方をどう(今に)生かしていくのか考察した」と川田さん。この年の暮れ、雑誌に論文を発表したが、「清水博士と同じ考えを持つ学生時代の恩師に勧められた」が清水に関わるきっかけだったという。

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