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【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】(55) 肌感覚の正義と法の正義 

ハンセン病家族訴訟について、会見のあと「勝訴確定へ」の幕を掲げる原告側の人たち=9日、東京・永田町の衆院議員会館(宮崎瑞穂撮影)
ハンセン病家族訴訟について、会見のあと「勝訴確定へ」の幕を掲げる原告側の人たち=9日、東京・永田町の衆院議員会館(宮崎瑞穂撮影)

社会防衛と人権蹂躙 

 ハンセン病患者の隔離政策がもたらした家族への差別被害を認め、国に賠償を命じた熊本地裁判決について、安倍晋三首相は9日、「控訴しない」と表明し、「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族の皆さまのご苦労をこれ以上、長引かせるわけにはいかない」と語った。翌日の産経、読売、朝日、毎日、東京の社説は一様に安倍首相の政治判断を評価し、残された課題とそれへの取り組みについて論じていた。

 「参議院選挙のさなかに控訴するという選択肢はなかった」と政治通はいう。確かにその通りだろうが、国家が社会防衛の名のもとに人権蹂躙(じゅうりん)を平然とやってのけたことを反省し、被害者にわび、賠償するという安倍首相の政治判断を素直に評価したいと思う。大切なのは「控訴しない」という判断そのものであって、思惑などではない。

 そもそもハンセン病は新薬の開発などによって治療可能な疾病になっていた。1943(昭和18)年に米国のカービル療養所で「プロミン」の治療効果が報告され、ハンセン病の治療が可能となったのだ。その後も新薬が次々に開発され、早期発見と薬剤の併用療法などによって、障害を残すことなく治癒する病気となった。それにもかかわらず戦後のわが国では、ハンセン病患者の強制隔離政策は継続され、残された家族は、家庭崩壊、村八分、就職・結婚差別といった回復困難な被害を受けてきた。

 こうしたなかで、昭和26年、山梨県で一家9人が青酸カリを飲んで自殺する心中事件が起きた。23歳の長男が県立病院でハンセン病と診断され、その日の夕方には家中を消毒すると村役場から通告されていた。父親の遺書には「悲しみに泣く家庭を守る道はないのか」という趣旨の訴えが書かれていたという。

 こうした悲劇の背景には昭和初期から始まった官民一体の「無癩(らい)県運動」があった。各県は競い合って患者を「摘発」し、国立療養所に強制隔離した。戦後もこの運動は継続され、国立療養所は増床、強制隔離は強化された。癩菌の感染力はきわめて弱いにもかかわらず、病気が進行すると顔面や指など身体の表面に変化があらわれるハンセン病への国民の恐怖心は根強く、それが国の対応を誤らせ、遅らせてきたといえる。強制隔離によってハンセン病を制圧しようとの思想をもったらい予防法が廃止されたのは平成8年のことだ。

『砂の器』とハンセン病

 ハンセン病と聞いて、日本人の多くが想起するのは松本清張が昭和35年から36年にかけて読売新聞に連載した『砂の器』だろう。

 国電蒲田操車場内で、男の撲殺死体が発見される。男はその昔、島根県亀嵩(かめだけ)で巡査をしていた三木謙一。続いて第二、第三の殺人事件が起こる。そのころ音楽家として世界の注目を集めつつある男がいた。和賀英良(えいりょう)。彼の本当の名前は本浦秀夫。石川県の寒村の生まれ。幼いころ、母はハンセン病にかかった父と秀夫を捨てて家を出てしまう。村八分にあい、追われるように流浪の旅に出た父子は、島根県亀嵩にたどり着き、親切な巡査と出会う。三木である。三木は父親を療養所に入れ、秀夫を篤志家の元へ養子縁組させようとしばらく手元に置いて面倒をみる。ところが当時7歳の秀夫は姿を消してしまう。どこでどう生き延びていったかは定かでないが、成長した秀夫は空襲で亡くなった他人、すなわち和賀英良になりすまし、音楽家として頭角をあらわしてゆく。そして前大蔵大臣の令嬢との結婚も視野に入ってくる。

 これまで繰り返し映画化、テレビドラマ化されてきたが、49年に製作された野村芳太郎監督の映画が私には印象深い。本浦秀夫を加藤剛、父を加藤嘉、三木謙一を緒形拳、殺人事件を捜査するベテラン刑事を丹波哲郎、若い刑事を森田健作が演じていた。この悲劇に深みを加えた作曲家、菅野光亮(みつあき)の音楽も忘れがたい。

首相談話と政府声明 

 ある大学の研究所で社会人の方も対象にした「時事コラムの舞台裏」と題した授業をもっている。「モンテーニュとの対話」が形になるまでの試行錯誤について私が語り、そのうえで受講者と議論するという内容である。先日11日の授業では、国として控訴を断念するという安倍首相の政治判断とメディアの反応をテーマに取り上げた。

 この授業中、受講者の一人から「安倍首相の政治判断は妥当だと思うが、新聞はポピュリズム、すなわち大衆迎合主義に陥っていないか」という指摘がなされた。つまり、「熊本地裁判決には法理上の問題点があり、法の正義を貫こうとするなら、控訴すべきではなかったか」との主張もあってしかるべきでは、というのである。ハンセン病患者と家族がこうむった回復不可能な差別被害にばかり目が向き、熊本地裁判決がはらむ法理上の問題を軽く見ていた私は、虚を突かれたような心地となった。

 熊本地裁判決を謙虚に受け止める首相談話と、判決がはらむ問題点を指摘した政府声明が発表されたのはその翌日である。声明はこう書き出される。「政府は、令和元年6月28日の熊本地方裁判所におけるハンセン病家族国家賠償請求訴訟判決(以下「本判決」という。)に対しては、控訴しないという異例の判断をしましたが、この際、本判決には、次のような国家賠償法、民法の解釈の根幹に関わる法律上の問題点があることを当事者である政府の立場として明らかにするものです」

 原告の苦しみを長引かせないために、いわば「超法規的」な判断をした政府ではあるが、法治国家として絶対にないがしろにできない論点を、この声明で提示したのだ。国民が肌で感じる正義と法の正義が齟齬(そご)をきたすことはままある。そんなとき、国民に考える契機を与える今回のような両論提示は大切だと思う。

 法官だったモンテーニュは、法律について辛辣(しんらつ)な言葉をいくつも記している。

 《法律が信奉されているのは、それらが正しいからではなくて、それらが法律であるからだ。これが法律の権威の不可思議な根拠で、ほかに根拠はないのである》(第3巻第13章「経験について」)

 そうではあっても、法治国家を維持してゆくには、そんな法律をかたくなに守ろうとする人々が不可欠であるのは言うまでもない。

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)によった。 (文化部 桑原聡) =隔週掲載 

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