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【関西の夏】(2)天神祭はピンチに柔軟 大阪気質の積み重ね

 水都・大阪の夏の風物詩といえば7月24~25日の天神祭だ。奉納花火を中心に約120万人が訪れるなど圧倒的な規模を誇り、大阪天満宮(大阪市北区)の「鉾流(ほこながし)神事」がルーツとされる。後に氏子らを巻き込んで大々的な「船渡御(ふなとぎょ)」へと発展していったのだが、祭り全体を守るためには細部にこだわらないという大阪人らしい柔軟性が、千年以上の歴史を積み重ねてきた。(北村博子)

奉納花火に彩られた昨年の天神祭の船渡御。中止と再開を繰り返してきた=平成30年7月25日、大阪市内(宮沢宗士郎撮影)
奉納花火に彩られた昨年の天神祭の船渡御。中止と再開を繰り返してきた=平成30年7月25日、大阪市内(宮沢宗士郎撮影)
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 天神祭は社殿での神事が途絶えたことはないが、神様がお出ましになる渡御は中止と再開を繰り返してきた経緯がある。

 起源は平安時代の天暦5(951)年に始まった鉾流神事にさかのぼる。天満宮はその2年前に創建されており、社殿に近い浜から大川に神鉾を流し、流れ着いた場所に神様の仮の居場所である御旅所を整えた。そこまで神様を乗せた船が列をなして向かったことが、船渡御の原形になったという。

 「ただ、当初は空き地だった場所に次第に民家が建ち始め、御旅所をつくることが難しくなってきました」。大阪天満宮の柳野等・祭儀部長はそう解説する。

 そこで江戸初期に鷺島(現在の大阪市西区)に御旅所が常設され、船渡御の航路も難波橋(なにわばし)から川下の御旅所までに固定化された。氏子らが天満宮の境内から川辺まで歩いてお供する「陸渡御(りくとぎょ)」も行われるようになった一方で、鉾流神事は役割を終えて行われなくなった。

 幕末と明治維新のころには戦乱や世情不安の影響を受けた。象徴的な行事として鉾流神事が昭和5年に復活したものの、先の大戦で渡御は再び中止に。戦後の24年に復活したが、今度は地盤沈下が原因でみこしを乗せた船が橋をくぐれなくなるという最大の危機に陥った。

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