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【一聞百見】朝乃山の親方デス! 定年までに もうひと花を咲かせたいネ 元大関・朝潮の高砂親方(63)

初優勝して先輩の富士桜(右)と握手し号泣する朝潮=昭和60(1985)年
初優勝して先輩の富士桜(右)と握手し号泣する朝潮=昭和60(1985)年
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■めぐり合えるかは「運」次第

 「朝潮」という四股名(しこな)が番付表から消えて、もう30年以上がたつ。5月の夏場所で平幕優勝した朝乃山は母校近大の後輩。うってつけの“後継者”出現か-と思われた。だが、高砂親方は「それは考えていない」と断言する。力量不足と思っているわけではない。「優勝したことで朝乃山という名前が全国に定着したしな。それにあいつにはあの名前に思い入れがあるんや」

 朝乃山英樹の「英樹」は“恩師”である母校・富山商相撲部監督の浦山英樹さんから取ったもの。常に励まし、導いてくれた恩師は平成29(2017)年1月、がんのため40歳で急逝した。五代目朝潮太郎を継ぐということは、「英樹」の名を捨てることを意味する。そんなことはさせたくない。断言の裏には親方の優しい思いやりがあった。

 大ちゃんが本名の「長岡」から「朝汐」になったのは昭和54(1979)年。大ちゃんは高砂部屋で由緒ある「朝汐」をもらった。当初は「朝潮」を名乗る予定だったが、画数が良いというので「朝汐」に。「重たかった。前頭のオレが名乗ってええんかいなと悩んだわ。朝汐(朝潮)とは横綱、大関の四股名。小結や関脇でもあかんのよ。名に恥じない相撲をとらな-とそればっかり考えとった」

 昭和57年に「朝潮」に改名する。「ちょうどそのころから、自分の相撲、四代目朝潮の相撲がとれるようになった」からだ。「朝潮」を継ぐ力士はいるのだろうか。「育てたいね。というより、そんな子にめぐり合いたい。会えるかどうかは“運”次第やけどね」「運?」「そう、運や。誰でもええから継がす、というわけにはいかん。継げる力と覚悟がないとな。定年まであと1年半、めぐり合えんかったらしゃあない。運がないとあきらめな。代々受け継がれてる名前とはそれほど重いということやな」

 厳しくも寂しい話のように思えた。

「運が良ければ…」と笑顔で話す高砂親方 =東京都墨田区本所の高砂部屋(松本健吾撮影)
「運が良ければ…」と笑顔で話す高砂親方 =東京都墨田区本所の高砂部屋(松本健吾撮影)
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【先輩・富士桜の「涙」で感極まり】

 昭和60年3月の大阪場所で大関・朝潮は千秋楽、大関・若嶋津との12勝2敗“相星決戦”を制して初優勝した。支度部屋で先輩の富士桜と握手し号泣。翌日の紙面には『朝潮、涙の初優勝』と報じられた。「ほんまは、あれは優勝したのがうれしくて泣いたんやないんよ。あの場所での富士桜さんの引退が決まっててな、オレの手を握った富士桜さんの頬に涙がスーッと…。とたんに感極まってしもた」

 それまで何度も優勝を逃してきた。いつも花道の奥で心配そうに見守ってくれていたのが先輩の富士桜と高見山。「申し訳なかった。けど、最後の最後に優勝パレードで優勝旗を持ってもらうことができた」

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