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【スポーツ異聞】戻ってきた優勝旗、切断されたユニホーム 都市対抗野球の歴史 

初代の黒獅子旗。一時は所在が分からなかった=東京都文京区の野球殿堂博物館(神田さやか撮影)
初代の黒獅子旗。一時は所在が分からなかった=東京都文京区の野球殿堂博物館(神田さやか撮影)
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 社会人野球の大会「都市対抗野球」が13日に東京ドームで開幕する。今大会で90回の節目を迎え、野球殿堂博物館(東京都文京区)では企画展「都市対抗野球90回のあゆみ」を開催。歴代優勝チームのユニホーム28着や記念トロフィーなど約90点が展示されているが、これらの品々には、都市対抗野球に携わった人々のさまざまな思いと歴史が詰まっている。

 優勝旗に描かれた「黒獅子」で知られる都市対抗野球だが、現在使用されているのは3代目の「黒獅子旗」。企画展では、大会の歴史とともにあった旗も展示されている(現在の優勝旗は14~24日に展示予定)。

 第1回(1927年)から第44回(73年)に使用された初代には、語り継がれている物語がある。先の大戦中に開催された第16回(42年)大会を制したのは、京城(現ソウル)の電力会社「京城電気」の選手主体で結成した全京城。優勝旗は朝鮮半島へと渡った。

 しかし、その後、戦況が悪化。大会は中断を余儀なくされ、優勝旗もどこにあるか確認できない状態になった。

 大会は46年8月に再開したが、第17回で優勝した岐阜市の大日本土木には、閉会式で賞状が手渡されたのみだった。しかし、優勝旗は、ある男の勇気ある行動で“帰国”していた。

 「都市対抗野球60年史」によると、優勝旗を持ち帰ったのは、京城電気の社員で全京城では「3番・中堅」として出場した秋山光夫氏。終戦直後の45年9月、日本に引き揚げることになった秋山氏は「なんとしても黒獅子旗を持ち帰ろう」と決意した。

 途中の所持品検査で没収されることも予想されたため、ひそかに腹に巻き付けて帰国するという手段を取った。見つかったときのために「私は元全京城のプレーヤー。私が獲得したものだから故国に持ち帰る」などの英語も練習していたという。

 優勝旗を腹に巻き付けた秋山氏は同年10月13日に京城を出発し、14日に釜山から乗船。15日に故郷の香川県丸亀市にたどりついた。優勝旗は第17回の大会後に発見され、大日本土木に授与された。

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