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【本郷和人の日本史ナナメ読み】天皇のお名前(上)あまりに複雑「後西」号の経緯

 さて、後西天皇ですが、天皇が崩御されたとき、連想されたのは平安時代の53代淳和(じゅんな)天皇でした。この平安時代前期の天皇は、兄から皇位を受け継ぎ、兄の子に譲位している。後西天皇は弟に譲位していますが、この方を先の事情を踏まえて兄の後光明天皇の子、と考えればぴったりなのです。自らの子がいたのに、皇位を譲れなかった点も2人は共通している。そこで「後の淳和」天皇の名を奉ることに決まった。

 淳和天皇のお名前は、淳和院に由来します。これは平安京の右京四条二坊(現在の京都市右京区)にあった離宮で、天皇は退位の後はここで生活しました。後に源氏の長者が奨学院とともに管理することになり、そのため源氏長者は両院の別当を名乗ったのです。また源氏の代表である源氏長者の地位には、室町時代には公家の源氏である久我家と武家の源氏である足利家がほぼ交代で任じられました。江戸時代には武家源氏である徳川家がこの地位を独占するようになりました。もちろん中身はとっくになくなっていますが、まあ肩書は長い方がえらそうということで、名前だけ、はったりとして機能したのです。

 淳和院は別名を西院(さいいん)といいました。ですから淳和天皇は別に「西院の帝」とも呼ばれていました。そこで、後西天皇は、後の淳和天皇の意味を込めて「後の西院の帝」とのお名前を贈られたのです。

 ですが、ここでひとつ問題が。「後の西院の帝」すなわち「後西院天皇」ならば問題はありません。けれども、先ほど述べたように、当時は「天皇」ではなくて「院」と呼ぶのが普通だった。となると「後西院院」となるけれども、「院」がかぶってしまう。では「後西院」。これで良い、というわけで、天皇はずっと後西院と呼ばれていたのです。

 ですが、先述のごとく大正14年、「○○院という言い方は廃して○○天皇とお呼びしよう」となった。このとき、本当は「後西院天皇」にすべきだったのだとぼくは思います。でも『皇統譜』には院という字を省略したかたち、「後西天皇」として載ってしまった。こうなると、改めるのは難しい。まあ私たちが、このあたりの事情を了解していればいいことですけれど。(次週に続く)

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