PR

ニュース プレミアム

【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】(53)天安門事件と香港デモ

原初療法と『ジョンの魂』

 オーストリアの精神医学者、フロイト(1856~1939年)によれば、人間は、自分のイメージやプライドを著しく損ないかねない、あまりにつらく苦い記憶を「反射的」あるいは「衝動的」に抑圧することがあるという。それはなくなるわけではない。無意識の領域に封印はされるものの、意識にさまざまな影響を与え続ける。

 少し寄り道をしよう。幼いころ父が蒸発、母にも見捨てられ、母の姉のもとに身を寄せていた少年が英国リバプールにいた。17歳のときには、関係を結び直そうとしていた母を交通事故で失う。少年は寂しがり屋で皮肉屋で反抗的な男に育つ。ジョン・レノン(1940~80年)だ。

 ビートルズを結成して大成功を収めるものの、精神状態に不安を感じていた彼は、1970年のビートルズ解散後、「原初療法」という精神治療を米国で受ける。心の奥深くに潜む苦痛を呼び覚まし、幼少期の記憶にまで遡(さかのぼ)って、すべてを吐き出すという治療法である。この治療が『ジョンの魂』というロック史に残る壮絶なアルバムを彼に作らせる。赤裸々な感情を爆発させた「母」「神」「孤独」「愛」「ぼくを見て」「悟り」「母の死」といった曲が並ぶ。

 次のアルバム『イマジン』では、精神的な落ち着きを取り戻したかのように見えたが、ことはそう簡単ではなかったようだ。70年代前半は音楽も私生活も迷走を重ねてしまう。彼が精神的な安定を獲得したのは、76年に音楽活動を休止し、生まれたばかりの次男の養育に専念するようになってからだ。そして80年、「スターティング・オーバー」「ウーマン」「ビューティフル・ボーイ」といったポジティブな名曲を収めたアルバム『ダブル・ファンタジー』で再スタートを切った。そこにはかつての皮肉屋の影はなく、成熟した男の姿があった。その直後だ、銃弾に倒れたのは。

抹消される6月4日の記憶

 自分のイメージやプライドを守るために、記憶を封印したりゆがめたりするのは人間だけではない。国もする。それも意識的に。もっとも熱心なのが中国、正確にいえば中国共産党だ。

 歴史を見れば一目瞭然だが、共産主義と粛清はセットになっている。神を否定した“一神教”である共産主義は、異端の存在を絶対に許さないからだ。フランスの歴史研究者、ステファヌ・クルトワが手がけた『共産主義黒書』によれば、共産党が殺害した国民の数は、ソ連で2000万人、中国で6500万人に達する。

 この所業を封印するために中国共産党は、民主化の芽を武力で次々と摘み取り、歴史を捏造(ねつぞう)すると同時に、経済的豊かさを国民に提供して、何としてでも権力を維持しようとする。民主化されれば、必ず開かれるであろう法廷に立たされるからだ。

 モンテーニュは第2巻第27章「臆病は残酷の母」に《最初の残酷はただそれ自体のために行われる。次に、それに対して当然うけなければならない復讐(ふくしゅう)を恐れるから、その恐怖の一つ一つをおし殺すために、あとからあとからと新たな残酷が糸を引いて出てくる》と書いている。

 同党が必死になって89年6月4日の記憶を抹消しようとしている理由もここにある。そして、「嘘も100回言えば真実になる」と、同党は本気で信じている。「日本軍は30万人の市民を虐殺した」と、白髪三千丈のごとき主張をする南京事件しかり、共産党の抗日神話しかり(日本軍と戦ったのは国民党軍であり共産党軍ではない!)。

 30年後にまだ同党が中国を支配していたとしたら、中国国民の大半は6月4日を知らないか、たとえ覚えていても知らないふりをするはずだ。

 天安門事件を象徴するのが、民主化を求めて北京の天安門広場に集結した学生たちを鎮圧しようと出動した戦車の前に、ひとり立ちはだかる青年の姿だ。他国のメディアが写真と映像を流し「天安門事件を風化させてはならない」と主張したとしても、同党は平然と「ありもしない事件をでっち上げ、中国とわが党をおとしめようとする謀略だ」と言い放つだろう。

 それにしても「タンクマン」と呼ばれた青年はどうなったのだろう。なぜあの場にいたのか、両手に持っていた袋には何が入っていたのか、戦車によじ登って操縦する軍人に何を語りかけたのか、知りたいことはいくらでもある。生きていればおそらく50歳代。その消息は不明のままだ。

 たとえ通りすがりの酔っぱらいだったとしても、青年はこの写真と映像によって、天安門事件の象徴として永遠の生命を得た。それは中国共産党に深く突き刺さった棘(とげ)となって、同党を苛(さいな)み続けるだろう。余計なお世話だろうが、共産党幹部はジョンのように「原初療法」を受けてみたらいい。

香港から目をそらすな

 天安門事件からちょうど30年の今年、各国メディアは競ってこの弾圧事件を取り上げた。そんな折、香港において、主催者発表で100万人、200万人規模のデモが連日発生する事態となっている。香港の人口は約740万人。デモの規模は空前絶後だ。

 本紙の藤本欣也中国総局長によれば、香港で最初に100万人規模のデモが起きたのは、英領時代の1989年5月21日。天安門広場を舞台にした民主化運動への支持を訴えるデモだった。それは97年に迫った中国返還を憂慮するものでもあった。

 今回のデモの発端は「逃亡犯条例」の改正案だ。刑事事件などの容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする内容だ。中国共産党に異議を唱える人物が、適当な理由で刑事事件の容疑者に仕立て上げられ、本土に引き渡される危険性が指摘されている。

 中国への返還にあたり、香港の「高度な自治」を約束した「一国二制度」の期限は2047年。あと28年だ。それまでに同党が民主的な体制を敷くようになるとは到底考えられない。香港の人々は、言論の自由のない監視国家入りを座して待つよりも、闘うことを選んだ。それは民主主義と全体主義との闘いだ。香港の人々が頼りにするのは、民主主義国家とそこに生きる人々の目と声だ。そのことを忘れてはならない。

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)によった。(文化部 桑原聡)

=隔週掲載

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ