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【ボストンから一言(25)】父の手作りで参加した日本統治時代の提灯行列

韓国のソウルで1972年11月に撮影された旧朝鮮総督府庁舎(後方)と光化門
韓国のソウルで1972年11月に撮影された旧朝鮮総督府庁舎(後方)と光化門

 韓国出身の友人から紹介された韓国在住のR氏は、理知的で教養に満ち、メールと電話で十数年のお付き合いとなる。流暢(りゅうちょう)な日本語で、R氏が語る日本統治時代の思い出話は、貴重な歴史的体験談として残しておきたいものばかり。聞くたびに、心打たれるものがある。

 「記憶にある初めての提灯(ちょうちん)行列は、僕が小学校に上がる前年の昭和12年、南京陥落の時でした。貧しい家庭だったもので、提灯を買うだけの余裕がなく、父が竹ひごと障子紙で、高さ40センチ、幅10センチほどの六面体のちょうちんを作ってくれました」

 「手先の器用な父でしたが、さすがに丸形の提灯は作れなかったのでしょう。出来上がった提灯の幅が狭いものですから、中のろうそくが、いつ紙に燃え移るのかと心配しながら行列に加わっていました」

 私「ご両親も一緒だったのですか」

 R氏「僕一人だったと思います。きっと一家族に一人の参加が義務付けられていたのでしょう。僕は長男でしたので」

 現代の5、6歳の子が一人で行列に参加することができるだろうかと時代の違いを思ってしまう。

■総督の前を行進

 「シンガポール陥落は、小学校5年生の時でした。朝鮮総督府の建物の正面にテーブルが置かれ、そこに小磯国昭(こいそ・くにあき)朝鮮総督が直立不動で立っていました」

 「その前を、5年生担任の佐和田豊先生と一緒に日の丸の小旗を振りながら、僕たちは行進をしたものです」

 「大変な数の生徒でしたから、総督も立ちっぱなしで疲れたと思いますよ。テーブルの上に、飲み水が置かれていたのが、目に残っています」

 小磯総督を拝顔しながら、意気揚々と行進した生徒の生存者も、今では残り少なくなっていることだろう。驚くのは、当時の担任の先生の氏名がよどみなく出てくることだ。

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