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【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】(52)無為は妄想の温床

児童らが殺傷された現場に供えられた花や飲み物を、整理するカリタス学園の卒業生ら=1日、川崎市多摩区
児童らが殺傷された現場に供えられた花や飲み物を、整理するカリタス学園の卒業生ら=1日、川崎市多摩区

 ふたつの衝撃的事件

 51歳の男が川崎市多摩区でスクールバスを待つ私立カリタス小の児童ら20人を殺傷し、その直後に自殺する衝撃的な事件に続いて、元農林水産省事務次官が44歳の息子を刺殺する事件が起きた。元次官は「川崎市の20人殺傷事件が頭に浮かび、息子が子供に危害を加えるかもしれないと思った」という趣旨の供述をしているという。報道によれば、51歳と44歳の男性はともに引きこもりがちで社会的に孤立していたらしい。

 おりしも内閣府が3月29日に、40~64歳の引きこもりが全国で推計61万3千人いると発表したばかりだった。千葉県船橋市の人口に匹敵する。77%が男性で、引きこもりの期間は7年以上が約半数を占めた。引きこもりのきっかけは「退職」が最も多く、「病気」「人間関係がうまくいかなかった」が続く。就職氷河期世代の40~44歳の3人に1人は、20代前半で引きこもりになっていた。

 内閣府では、引きこもりを自室や家からほとんど出ない状態に加え、趣味の用事や近所のコンビニ以外に外出しない状態が6カ月以上続く場合と定義する。15~39歳の引きこもりは4年前の調査で約54万人。合わせると115万人を超える。めまいがする。

 ロシアの文豪、トルストイの『アンナ・カレーニナ』の出だしの言葉、「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」(木村浩訳)のように、引きこもりの様態も千差万別で、とてもひとくくりにはできないだろう。もしかすると、幸福な引きこもりだってあるかもしれない。

 もちろん共通するところも多いはずだ。たとえば、いまの日本社会に自分の居場所なんてどこにもない、という絶望感ないし拒絶感だ。「どうせ拒絶するのだろうから、こちらから拒絶してやる」といった…。

引きこもりは炭鉱のカナリア

 「Tsunami」と同様に、引きこもりは「Hikikomori」として世界の共通語になっている。当初は日本の若者特有の現象とみられていたが、先進国でも社会問題化しつつあるようだ。ためしに引きこもりともっとも無縁そうな国、スペインではどうかと、「Hikikomori Espa?a」で検索してみると、バルセロナやマドリードといった国際都市で関心を集めつつあることがわかる。ただ、精神疾患と結びつける特殊ケースとしてとらえているようで、日本とはおもむきがずいぶん異なる。

 ならばと、スペイン中北部の中核都市、バリャドリード近郊の村で20年以上暮らす知人の日本人女性に質問を投げてみると、次のような答えが返ってきた。

 「周囲に失業している若者はたくさんいますが、家から出られなくて困っているという印象はありません。スペイン男性と結婚して40年以上になる友人に尋ねても、そんなケースは聞いたことがないと言っていました。スペインは日本と違って同調圧力が低く、人は人、自分は自分という意識がはっきりしています。たとえば小学校で落第しても、本人も親も気に病むことはないようです。日本人は人に負の部分は見せたくない、人に迷惑をかけずに生きるべきという意識が強すぎて、ヘルプを出すタイミングを失っているように思います」

 なるほどと思う。過度な同調圧力と、人に迷惑をかけるな、という価値観が敏感な人々を窒息させつつあるのかもしれない。引きこもりの人々を「炭鉱のカナリア」(炭鉱において毒ガスなどの早期発見のためにカナリアが使用された)ととらえ、日本の家庭、学校、職場、社会を覆うさまざまな価値観を検証し、洗い直す時期ではないか。

 強く感じるのは、エリートをめざす者の基準に全員が合わせる必要などないということだ。まさに平等主義の弊害だ。「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」という小泉純一郎首相(当時)の人を食った国会答弁になぞらえるなら、「人生いろいろ、生き方もいろいろ」という相対主義を日本社会に根付かせるべきだろう。

妄想に苦しんだモンテーニュ 

 モンテーニュは、進んで引きこもりになろうとした男だった。父の死によって領地と城を相続した彼は37歳で法官をさっさと辞め、城の塔にある書斎にこもって読書ざんまいの生活を送ろうとした。

 ところが、一切の束縛から逃れられた喜びはあっという間に色あせて、束縛がないゆえに暴れ馬のようになってしまう自分の精神をもてあますようになる。彼は暴れ馬を制御するために『随想録』の執筆を始めるのだ。

 第1巻第8章「無為について」で、彼は古代ローマの詩人、ルカヌスの「無為が精神をあちらこちらに追いちらす」との言葉を引用したうえでこう記す。

 《わたしの精神が手綱をはなれた馬みたいになり、他人のために苦労するよりも百倍も自分のために苦労していることを知った。彼(無為)があまりにも奇怪な妄想を後から後からと、順序も計画もなく、産み出すので、わたしはそのとりとめのなさや、その物狂おしさをとっくりと考えて見るために、それらを一つ一つ書きつけて見ることにした》

 「無為」が人間の精神におよぼす影響を冷静に見つめることのできた自己観察の達人の言葉から私たちが学ぶべきは、先人が「小人閑居して不善をなす」と喝破したように、「無為」の状態に置かれた凡人は、さまざまな妄想に取りつかれてしまう危険性があるということだ。ことに、自ら望んだわけでもないのに社会的孤立状態に追い込まれ、それゆえに家族や学校、職場、社会への憎悪を募らせ始めた者が「無為」と結びついてしまったら、膨れあがった真っ黒な妄想にのみ込まれてしまうこともあるだろう。

 彼らの閉じてしまったコミュニケーション回路を再び開かせるには何が必要なのか。柔軟な価値観を体得した他者による、ぬくもりある粘り強い働きかけ以外にないように思う。

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)によった。 (文化部 桑原聡)=隔週掲載

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