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【大人の遠足】国家の威信示す瓦ぶき築地塀 秋田城跡史跡公園

瓦ぶき築地塀や東門、建物の基壇が復元された秋田城の政庁(同資料館提供)
瓦ぶき築地塀や東門、建物の基壇が復元された秋田城の政庁(同資料館提供)
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 沿道に歴史の面影を色濃く残す羽州街道(旧国道7号)から風に吹かれながら坂道を上る。息が切れそうになったところで目の前に広大な草っ原が開けた。秋田城跡(あと)史跡公園だ。

 なだらかに起伏する草っ原に平城京と同じ幅12メートルの大路(おおじ)が延び、ベンガラ塗りの柱に白壁、瓦ぶきの城門につながる。

外交、文化の中心

 秋田城は奈良時代から平安時代にかけて出羽国(でわのくに)に置かれた大規模な地方官庁で行政、外交・交易、文化の中心だった。蝦夷(えみし)に加え、大陸にあった渤海(ぼっかい)国(698~926年)との外交・交易拠点としての役割も担った。

 出羽国(山形、秋田両県域)は平城遷都から2年後の和銅5(712)年に定められ、天平58733)年に役所の出羽柵(いではのき)が山形県の庄内地方から阿支田(あきた・秋田)村高清水岡(たかしみずのおか)に遷された。

 渤海使は神亀4(727)年から延喜19(919)年まで計34回来訪し、うち8世紀の13回中6回が出羽国から入国。渤海使の応接も担った秋田城は東西、南北とも550メートルの外郭を高さ4メートルの瓦ぶき築地塀で囲み、中心の政庁も東西94メートル、南北77メートルを築地塀で囲った中に正殿や脇殿などが置かれ、その基壇が在りし日をしのばせる。

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