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【一聞百見】未来見据え、人と企業の橋渡し パソナグループ副社長 山本絹子さん(63)

 山本 私が入社したころは国際テレックス業務というのがあって花形でしたが、ファクスの出現で消えました。やがてワープロ、パソコンへと発展します。この時「ツールに左右される仕事をしちゃいけないな」と実感しました。

 --そうしてキャリアを重ねた昭和60年代に「バブル景気」を迎えます

 山本 雇用に携わるだけに、あの時期は変だと思っていました。東京・六本木あたりで、入社2、3年目の若いサラリーマンが海外ブランドのスーツを着て、大きな携帯電話を携えていたのを見ましたが、本当に下品でした。派遣の人たちは、コツコツ働いて月二十数万円。正社員と遜色(そんしょく)ないとはいっても、業種によってはその倍以上、報酬が入った紙袋が立つこともあって。これはおかしいと思いましたね。

「根性があるんじゃないか、と最終面談で拾ってもらった」と笑う山本さん =兵庫県淡路市の「ハローキティスマイル」(南雲都撮影)
「根性があるんじゃないか、と最終面談で拾ってもらった」と笑う山本さん =兵庫県淡路市の「ハローキティスマイル」(南雲都撮影)
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 ■6次産業スタート 淡路島を活性化

 --バブル崩壊後、平成7(1995)年に「阪神大震災」が発生しました

 山本 震災は大きな転機となりました。それまでの人材派遣とは全く違う震災復興ビジネス。デパート作りを始めたのです。

 --JR神戸駅前の「神戸ハーバーサーカス」です

 山本 南部(靖之・パソナグループ代表)が神戸出身だったのが大きかった。当時、神戸製鋼など大手企業はもちろん、サービス業や販売業も稼働できる状況ではなかった。なんとかしたかったのですが、派遣法に制限があって人材を紹介できない。でも、直接採用ならいい。ならデパートを作ってしまおうと。

 --戸惑いは?

 山本 ありましたよ。南部がすごいのは震災から3カ月後には事業をスタートさせたこと。「うちは素人ですよ」と進言したら「みんなに助けてもらえばいい」と即決でした。トイザらスやソフマップ、エイチ・アイ・エス(HIS)、吉本興業といった企業に南部と出向き出資と出店をお願いしました。

 --すごいスピード感ですね

 山本 ところが出資は集まったけれど出店までは難しかった。そこで南部は私たちに事業計画書を練らせ5、6月ごろでしたか、朝7時に東京・赤坂にソフトバンクグループの孫正義さんやエイチ・アイ・エスの澤田秀雄さんたちを集めて「ぜひ協力してほしい」と頭を下げたんです。

 --「ベンチャー三銃士」ですね

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